執筆の仕事が増えてしまい、左眼も不自由で業務で必要なメールマガジンと旅の寄り道がトド凝ってしまった。
この絵は、斎藤 将画伯の大型作品。難しいい絵ばかりがあったオフィスはこれでぱっと明るくなった。
執筆の仕事が増えてしまい、左眼も不自由で業務で必要なメールマガジンと旅の寄り道がトド凝ってしまった。
この絵は、斎藤 将画伯の大型作品。難しいい絵ばかりがあったオフィスはこれでぱっと明るくなった。
投稿情報: 22:53 | 個別ページ
6月は、僕にとってはさんざんであった、と外目からは見えるだろう。。
一つ目は、硝子体に出血があった。
そこで入院して硝子体を抜いてしまう手術をやった。おかげで硝子体と共に血液がすべて抜けて、見える世界が新しくなった。世の中はこんなに美しいのだと思えるようになった。
二つ目は、オフィスを水浸しにしてしまった。洗面台の蛇口を開いたまま帰宅してしまったのである。絨毯がたっぷり水を吸い込んでとんでもないことになってしまった。もう最悪の状態であった。金魚がいたらここで生息できるだろうと思った。幸いにも一階であった。もしも上の階だったら、その水は階下の部屋に流れ落ちていくだろう。
周囲の人は、僕の責任だと言わんばかりな表情であった。
しかし待てよ。なんで僕の責任なんだ。洗面所にはオーバーフロー口が標準装備されていて下水に流れるようにできている。
だから僕の責任は、流した水道料を支払う責任だけで、下水に落ちなかったのは装置に欠陥があったことによる建物側の責任だとすぐに思って、管理人と交渉したら簡単にうちで絨毯は張り替えますとなった。
三つ目は、10㎏のダンベルを70回上下し、それから50kgのウエイトをかけて両足で30回上下し、自転車で10kmを30分で走って、また、太もも上部を鍛えるマシンで30㎏4セット、太もも裏側を4セット、胸筋を「4セット腹筋を4セット、合計120分を10日ぶりに行った。
これが、いくら何でもそこまでやるかというバカな筋トレであった。
強烈な筋肉痛を襲ってきた。激痛などと生易しい言葉では表現できない。真夏の海水浴で太陽光線を全身に浴びて、火ぶくれになったあのずきんずきんとくる辛さを思い出した。
4日が過ぎるが、ずきんずきんと、キリの刃を力いっぱい突き立てられたような痛さが来るたびに顔をしかめてしまう日常を過ごしている。もう仕事どころではない。
今日、かかりつけの医師に電話で事情を話すと、すぐに来てくださいとなり、急いで駆け付け、痛いところのエコー検査と触診の結果、リンパは晴れていませんが筋肉や腱がはれ上がってますよ。
これはやりすぎですよ。80にもなっているんですからね。総負荷重量はとんでもないことになっていると思いますよ。心臓が相当に丈夫なんでしょうね。この一件は、なにごともほどほどにしなさいと教えてくれた。
こうして苦難の6月が終わり、オークションに永田力画伯の「化粧をする男」が出品された。
永田画伯らしい色使い。絵はうまい。
6月を頑張った自分のご褒美にこの油彩画を落札しようと思っているけれど、このネットオークションは、出品者が損だと思うと、落札時間ぎりぎりになって出品取りやめができるので、いくらで買うと出品者に伝えることできないのである。運を天に任せて落札時間を待つしかない。
投稿情報: 01:03 | 個別ページ
好きな絵は手放してはいけない。手放したりすると、心の中にぽっかりと黒い穴が空く。絵画のコレクターには、こんな掟があるが、僕は知らなかったわけではない。
それでも僕は、増田常徳画伯の手品師を、掟を破って南西諸島の高等学校に寄贈してしまった。掟通り、僕の胸の中に黒い穴ができてしまった。
季節が変わっても、僕の胸の中にある黒い穴は移り変わらなかった。
たった今オークションに出品されている「薔薇の道化」15号だ。
今宵死す身でも薔薇の道化を買うのか。
薔薇の道化は、僕にそう語っている。
増田常徳画伯には、二度お会いしたことがある。
僕は薔薇の道化を真正面から向き合えないかもしれない。少しの隙も許してくれないかもしれない。
僕は、薔薇の道化を知っている。僕の胸の中に黒い穴をつくった道化だ。
今宵死ぬことを恐れてはいない。薔薇の道化前に立ちすくむことを恐れてはいない。
投稿情報: 00:23 | 個別ページ
我が庭は、若葉が満開である。やぶ椿は完璧に落下した。奥のハナミズキも、枝の頂上に白い花びらを見せたが、もう咲いていない。
中央左の茶色いプランタンに生えているのは3本の柿の木だ。食した柿の実を植えて、今年で4年目になる。いつかは実が成ると期待しているけど、わからない。
右手奥のつつじは、まだ咲かない。手前のサツキもまだ咲かない。
時折狂ったように咲き乱れるのだけど、今年のご機嫌は、悪いようだ。
今日は、てっきり金曜日と思い込んでいたが、木曜日であった。一日分を得をした気分になった。今日、これからの作業で一つの仕事が終わり、来週から新しい仕事を迎える。
僕は、新鮮な遊び方を覚えた。
親しい友人が年4回、我がオフィスに遊びに来る。毎回、テーマを決めて議論する。次は5月の第二週だ。
次回のテーマは、美についてである。 友人は真善美から美を語りたいと事前通告をしてきている。
もう一つある。自分が好きな詩を一編、持ち寄ってその詩の思い出と、美しさを語り合おうというものだ。
友人は、5月に75歳になる。
90歳を遥かにこえた母親の、認知症の世話で、ほとんど毎日、故郷にある母の家に泊まり込んで介護をしている。
そんな友に、私は提案した。それが、ここで書いた新しい遊び方なのである。
友は年に四回、季節の変わり目に、我がオフィスを訪ねくると、はじめにこの庭に目を落とし、時間が動いていることを感じながら。静かに鑑賞している。
僕は、一つの詩を決めている。友人のために選んだ三好達治の「乳母車」だ。
友人は、今は認知症の母を介護しているけれど、この詩の主人公は、乳母車に乗る乳児だ。
僕は、友人に、乳母車に乗って母に押してもらっている頃を、そのころのことを深く思いだして欲しいのである。
詩集 測量船より
乳母車 三好達治
母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
々と私の乳母車を押せ
赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道
投稿情報: 13:43 | 個別ページ
毎朝、都電に乗って大塚駅まで通う。そこから都バスに乗って伝通院前で降りる。3分ほど歩けば閑静な住宅街にある我が庵にたどり着く。
話は都電のことである。
正式な名称は東京さくらトラム。しかし、東京さくらトラムと呼ぶ人は少ない。みんな都電という。
都電なら3文字だ。言いやすい。 東京さくらトラムを発音すると10文字。言いづらい。
そんなことを考えて名前をつけろよと言いたくなるが、お役人の仕事はそんなことだろう。
昔、車掌が乗っていて発車する時はちんちんと鐘を鳴らしていた。だからチンチン電車とも言う。
私は毎日、チンチン電車に乗っている。毎月4日、14日、24日は朝から夕方までチンチン電車は満員だ。
毎月4の日は巣鴨のお地蔵様の縁日なのだ。
チンチン電車は、巣鴨の地蔵通りのど真ん中に停留所がある。だからチンチン電車を目がけて、孫可愛さに、巣鴨のお地蔵様へお参りするために来るのである。
僕なんか、どこまでたどり着けば気が済むんだろう。家で手を合わせたって同じことではないかと考えるが、それでは気が済まない人たちがお賽銭を上げるためにやってくる。
巣鴨地蔵通りは、旧中山道である。今の中山道は国道17号線で、都内に入ると白山通りという。
その道に並行して、国道254号の川越街道がある。
巣鴨地蔵通りの入り口は巣鴨駅だが、チンチン電車の停留所名になっている庚申塚があるあたりまで行くと大塚駅に近い。
したがって、大塚駅周辺は川越街道と中山道の間に挟まる地域で、昔は池袋よりはるかに栄えている地域であった。いまでも大塚駅前は、駅から放射状にあるどの道を入っても繁華街にたどり着く。昔は大きな三業地でもあったようだ。
今は、ちょっとやそっとではお目に掛れない昭和初期風情の飲食店が並んでいる。むろんコロナで歯抜けになっている。
そんなことを知ってか知らぬか、チンチン電車は毎日走っている。どこかのおじいちゃんが席に座れず、倒れたら大変だと、明らかにわかる表情でポールに掴まっている。僕もそ知らぬ顔をして、混雑した車内でつま先立ちをして筋トレのマネごとを繰り返し、チンチン電車に揺られている。
投稿情報: 17:03 | 個別ページ
JBLの小さなワイヤレス・スピーカーをオフィスのデスクに静かに置いてから、アップルミュージックで静かなピアノ曲を流した。
それから庭に出て、、はさみで椿の花が一輪ついた細い枝を切り落とし、琉球ガラスのカップに生けた。
たちまち、春日の小さな空間は、小型のタイムトラベラーに変わった。
時間をさかのぼることはできないが、遠くに置いてきた思い出に向かってさかのぼることはできる。
今月中に納品しなければならない仕事を抱えている。来月から2カ月で、大きな仕事をつくりあげる。
僕は、午後から、黄昏時になるまでこの時間を楽しもうと思っている。
思い出に色彩はあるのか。ふとそんなことを考える。僕は毎日生きて思い出を織りだしている。
その時、僕は色彩まで記憶しているのか。
僕は、一日の間で黄昏時がいちばん好きだ。黄昏時に色彩はあるのか。灰色は色彩なのか。
明け方に黄昏時の夢をみた。その思い出が今も僕を引っ張り込んでいる。その夢は、鮮烈な色彩を持っていた。
だからまもなく覆いかぶさってくるだろう夜のとばりのわずかな一瞬を待ち望んでいるのだ。
こんな時間には、珈琲より紅茶が似合う。
わが社に来訪する、珈琲嫌いのたった一人のお客ささまのためにある、アール・グレイを出してお湯を注ぐ。それから、ランチ代わりの成城石井で手に入れたクッキーを出して静かに食べる。
自律神経を整える静かなピアノ曲を聴きながら、紅茶を飲み、クッキーを食し、静かに椅子に座っている。
投稿情報: 15:44 | 個別ページ
荒井由実(結婚して松任谷由実)と、僕とは11歳違い。僕が1943 年。彼女は1954年だから同世代とは言わないが人生の主要な部分を並行して生きていることになる。
初めて聴いたのは、1973年ファーストアルバム「ひこうき雲」。彼女が19歳で、僕が30歳の時だ。それまでに僕の音楽と言えば、中高校生の吹奏楽部と、ハワイアンバンドをつくっのウクレレ演奏とボーカルくらいなもので、時代背景としては、山口百恵、沢田研二、ピンクレディ、小柳ルミ子、野口五郎等が黄金期であった。
忽然と現れた彼女のファーストアルバムひこうき雲は、衝撃と言わないで何と言えばよいのか。人生の一コマをタイムスライスし、光り輝く言葉を与えて、だれもつくれない詩をつくって、そのうえだれもまねできないコード進行で、既存のコード進行を無視したメロディをかぶせた、品性ある曲は、言葉も活き活き、メロディも生き生きで、新しい時空間をつくりあげた。僕は一瞬にして、心をわしづかみにされってしまたのである。
彼女自身が言うように、まったく新しい音楽であったから、彼女の特別なセンスに気づいた音楽家たちが集まって、中でもキャラメル・ママ等は、何とかしてデビューさせたいと夢中になった。キャラメル・ママのメンバーは今や伝説的なところまで行き着いていて、この先は神話になってしまうのだあ。細野晴臣、松任谷正隆、林立夫、鈴木茂が、ひこうき雲を創造したのである。
このアルバムには名曲が揃っている。中でも僕が好きなのは「雨の街を」である。ベルベットイースターもいい。ひこうき雲はジブリの主題歌にもなった。
翌年に発売されたルージュの伝言は、だれにもまねできない彼女だけの、世界観であった。
育ちが良い上流家庭で育った主人公が演じる浮世離れしたこの世界観には、驚いたのと二感服した。僕にはない世界観であったからだ。
その松任谷由実が50周年として六本木でミュージアムを開いていることを聞きつけた僕は松任谷由実を深く知りたくて、六本木、森ビルに駆け付けた。
この舞台ファッションを着こなしてしまうのだから、着慣れているのだろう。
すごいな。松任谷由実。50周年を出発点にして、次を進もうとしている姿がありありだ。ますます彼女の音楽が好きになっていった。
投稿情報: 14:57 | 個別ページ
奈良大安寺は、日本初めての国立寺院である。天平時代の仏さまが一堂に揃って東京の上野にやってきた。信仰の対象として存在する仏像が、今や美の対象として博物館に登場しているのは、美に仏像が加わっているからである。
しかしこの仏さまは人間の顔をしている。木彫りで一本の木材を掘る職人は仏の顔を知らないから、人間の顔を掘ったと考えて普通だが彫が浅く、寒冷地の人をモデルにし,たとしか思えない。
それにしても宗教の押しつけさがないことが一番いい。天平時代には、彫る人も清い心を持っていたのかもしれない。
しかし、大安寺は国立の寺院で、時の天皇が仏教を利用して広く世を統一していこうと企んで、道具として造成した寺院である。怖い不動明王が出てくると思ったら素朴な仏さまの美しさに驚いた。
投稿情報: 22:05 | 個別ページ
佐伯祐三展が4月2日まで東京ステーションギャラリーで開催されている。小石川のイタリアンで、2月18日、友人と。ピザとスパゲティをシェアして食べ、それから後楽園駅まで歩いて丸の内線で東京駅に駆け付けた。長い列ができていた
長い間、佐伯祐三の集大成作品を見たいと願っていた。どれほどこの日を待ち望んでいただろう。昨日は念願が叶った記念すべき一日となった。
佐伯は1898年(明治31年)~1928年(大正2年)30歳で結核と精神衰弱で死亡した。
離れることができなくなった絵が6点あった。一枚はこの絵であった。佐伯が描く鉄の扉は、だれが描いた鉄の扉よりも分厚い鉄のように描かれていた。木の扉はだれの作品より分厚い木のように描かれていた。
*画像をクリックしてください。
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佐伯が描いたパリの壁は、誰よりも分厚く強固だった。
私は画集を買わなかった。好きな絵に再会するためにである。
日が明けた本日、いつかは挑戦しなければと考えていたバッハ「マタイの受難曲」全曲をワイヤレスイヤホンの頂点に立つNoble Fokus Proを使用して大音響で聴いた。疲れ果てたが一つのことをやり遂げた気だけは残った。
投稿情報: 21:36 | 個別ページ
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