参院選の大惨敗を受けて地方重点主義を打ち出すと安倍内閣は言っているが、国家にお金はない。都市部と地方との格差は埋めようがなく、間違いなく地方経済を侵食していく。
百貨店は都市部中心政策にならざるを得ない。近い将来高齢化社会が終焉し、人口減の中でどう生き残るか。三越も伊勢丹も「看板」を残す選択をした。
両社長の英断は、整理されている。これは第二章幕開けのファンファーレである。
社員は格差社会の中で、実力あるもののみが生き残る。この考えも整理されている。
経営統合後、三越は、不採算店の見直しがすぐに起きると予測できる。
格差社会の象徴とも言うべき地方の疲弊は百貨店事業にも影を落としている。地方に多店舗展開している三越は、いままでのしがらみを捨てて、HRの名のもとに切り捨てに掛かることが十分に予想できる。
伊勢丹にとっては、百貨店業界の中でずば抜けて高い人件費の抑制に掛かる。
すでに伊勢丹の社員間で、三越の賃金レベルに合わせて賃下げが行なわれることが、ノミニケーションの席上で話題になっている。
統合で解決できるものは、コスト削減だけである。
コストが下がれば利益が出る。市場からも好感が持たれ、株価は上がる。統合効果は生まれる。
しかしぬれ雑巾はいつまでも絞りきれない。真の成果とは、売れる仕組みを作り実行することにより得られる利益を創出することにある。
両社の社風の違い、文化の違いは、関係者の誰もが指摘するところであり、両社を知る私も同感である。問題は統合で整理したものがすべて正しいのかと言うことだ。
例えば
統合による共同仕入れ効果を狙うことも実態は期待できない。顧客層が違うなかで共同仕入れ効果が生まれるのかと疑問に思う。
三越の富裕層は庶民の想像を絶していて、私が聞いたエピソードを語るなら、三越の時計フェアで1本1500万円の時計を注文した顧客に、別のモデルをもう一本お勧めしたらそれならそれも買おうと2本合計で3000万円を越えたお買い上げであった。
あるいは孫を連れて子ども売場にきた顧客が、あそこからあそこまでと指差し、サイズの合う服を全部くれと注文した。あそこからあそこまでとは売場の全部であった。
こうした顧客を数多く抱えて、こうした販売のシーンを日常にあるものと考えている三越社員は、おのずとプライドも高くしたがって自尊心も強い。ここに伊勢丹の力が通用するのかも疑問である。
統合した暁にはシステムは伊勢丹のものを使うようになる。すると業務のやり方は伊勢丹主導になっていく。これが私の言う伊勢丹の力である。伝統的な三越人にとっては大混乱が始まる。
こうした統合の弊害を一つひとつ論う(あげつらう)気はないが、両社の社員は、社風の違い、文化の違い、気質の違いを乗り越えて経営者が望むような方向に事業をリードして行くことは、短期的には、到底実現できないと思うのである。
出来なければ統合成果は出ないと、市場から批判が出る。
HRが打ち出す新たな成長戦略のシナリオを実現するのは社員である。
これが両社の、社風や文化の違いで、上手く実現するのかと巷は言っている。
私が言いたいのもこの一点である。
コメント