【2010.04.16配信】
ブレアコンサルティングの服部です。
私の15年以上にわたる友人が事務所に訪ねてきました。彼は勤務している会社でも指折りに数えられる非常に優秀なSEです。早くからBREA理論に着目してこの理論を世に広めるべきだと考えてくれた人です。
彼は、会社を辞めるので、報告がてら服部さんとはぜひともお会いしたいとわざわざ時間を作って事務所まで訪問してくれたのです。
彼が勤める会社は非常によい業績で実力は業界で高く評価されていたのですが、トップが巨額な不動産投資をしてリーマンショック後に売上額に近いほどの巨額な赤字を一期に作ってしまい、今は大変困難な状況になっています。そこで彼は人員削減の社内募集に応募して会社と業界に見切りをつけたというのです。
彼はクラウドコンピュータでまたぞろ、業界は同じ過ちを繰り返していると言いました。
彼の話を要約すると次のようになります。
「コンピュータは、単なる器にすぎない。器の中に何を載せるのかが一番大事であることを過去の失敗で学んだはずなのに、この業界は相変わらず器の話ばかりしている。この器を使えばこんな特徴があると業界は大騒ぎをするが、大事なことはコンピュータではなく、コンピュータに乗せるコンテンツである。
むかし、海外からのCRM(SFA)が入ってきたときに、業界はCRM一色であったがいまはどこにも根付いていない。
その後に国内CRMが出てきて、優良顧客育成、LTV実現といっていたけれどそんなことができたと言う話はどこにもない。コンピュータは器で道具である。いいコーヒーカップを手に入れたことと、美味しいコーヒーを飲むこととは別のこと。器を買えばLTVが実現できるなどと言うことはない。
その後に見える化がブームになった。コンピュータに搭載すれば見えるようになるのは当たり前の事、問題は何を見えるようにするかが重要なのに、見えれば見える化が実現できていると言う事になった。自分はこんな事は早晩に飽きられると思っていた。
そしてまたぞろ、クラウドコンピュータだとなっている。いかにもばら色のような話だけが飛び交っているが、肝心の何を載せるのかは口をつぐんでいる。そこに触れないでクラウドといってもやがては、セールストーク通りにいつでも止められることになる」
友人が言うように
大きなトレンドとしては、日本人は高度経済成長時代から相変わらず脱していないのです。
コンピュータが、ばら色の社会を構築してくれると考えていた時代に販売していた手法から抜け出ていないという意味です。いまだにコンピュータを語り、コンピュータが実現する機能を語れば売れていた時代の売り方を踏襲しているのです。時代がこれだけ変化しているにもかかわらずにです。このことが高度経済成長時代から抜け切れていないという一つの証です。
企業にとって新しい時代に必要なスキルは専門性と関係性です。顧客育成というからには顧客育成の手法を明確に定義して、導入した顧客企業は実現できなければいけないのです。
ここには高度の専門性を必要とします。
CRMを販売する企業の社員に、顧客育成の実現手法を実際に語れる社員がどれほどいるのでしょうか。私の目からすれば皆無であると思います。
ですから顧客育成を希望する企業に、顧客育成が実現できると称して、顧客育成の実現手法を持たない社員が、顧客育成手法を搭載していない電子器(うつわ)を販売していると言っても、それは言いすぎだろうということにはならないと私は思っています。
この問題は企業の理念に遡る事であり、人事政策にも関係することで、一個人の能力を責めているのではありません。
きっこの日記に真似て話をクルリンパと変え続けながら話をします。
まずは企業の社会的責任に付いてまで戻します。
企業は人を労働力として採用し、人を教育し、戦力とします。問題はこのプロセスです。
企業は自分の会社にとって都合が良いように育てます。営業部であれば売れる社員を育てます。そうして目標ノルマを与えて多く売った者が社内の勝者であるという育て方をします。
このモデルは高度経済成長時代に構築したものです。このプロセスには顧客が登場しません。
顧客は売り込み先であって、それ以下でもそれ以上の存在ではないのです。
顧客が商品を欲しがる時代には、これでも売れました。しかしいまは、成熟しきっている市場にモノを売るのです。営業方法もクルリンパと変えなければいけないのに、なぜ変えられないのでしょうか。
企業の社会的責任について言及します。
企業は会社にとって都合が良いように社員教育をするのではなく、どこの会社に行っても一流の給料が取れるように社員を育てるべきなのです。
会社の仕組みもこのことが実現できるように組み替えるべきです。
その実現にむけて社員に教えなければならないことは専門性です。
CRMに限定して例を述べますが、顧客離脱がはなはだしいので顧客育成を仕組み化したい企業に、顧客育成の手法を搭載できる電子器を使用して、顧客育成を実現できる手法を持ち備えた社員が、担当して顧客育成を実現できるようにする。
社員教育とは、顧客育成方法を実現できる人間を創ることに他なりません。
そのうえ、顧客に信頼されるためには情理の関係性を結ぶ事が必要になります。
顧客から信頼され、顧客企業が求める価値を実現できる社員に育て上げれば、彼は自社でも活躍し、他社でも活躍できる人材になります。
ところがどうでしょうか。企業は製品の機能や操作方法を教えて後は製品紹介案内パンフレットと会社案内を持たせて売って来いと市場に放り出します。
だから、彼は顧客育成を求める会社に、顧客育成手法が実現できない社員が、顧客育成手法の機能を持たない電子器を、顧客育成ができるといいながら、販売するようになるのです。
そして彼の評価は、何を何台、合計でいくら販売したか、目標達成率がいくらであったかで決められます。
ここでは一体、誰が幸福になるのでしょう。
顧客企業は求めた価値が実現しません。販売する企業もビジネスは持続しません。社員も持続した関係を顧客企業との間に培うことができません。
一時期CRMは、年間一兆円近いビジネスに発展すると言われ続けていました。
それが今では訪問営業のSFAでは日報のIT化として営業社員の行動を管理し命を永らえているのが現実ですし、集客営業のCRMでは相変わらず過去一定期間の高購買客にだけ集中して売り込みのDMを送り続けているのが現状です。
これらはすべて高度経済成長時代のモデルそのものをIT化しただけに過ぎません。
日本企業は高度経済成長時代から培ったビジネスモデルから脱皮しなければならないのです。幼虫が蛹化し、蝶に転進をするように企業も時代に即して変わっていかなければならないのです。
なぜに日本はこのようになってしまったのかと思います。
また話をクルリンパと変えます。
大きな経済環境の変化は東西冷戦終了後に起こったグローバル化への波でした。世界同一経済戦争というべきグローバル時代に、日本は過去の成功から自らを過信していました。
これが遅れをとった最大の理由です。
そしてたったいま、日本企業はすべての投資を控えて冬篭りをしているようです。私から見ると商売を止めてしまうのですかと問いたいのです。
続けるなら、新しい時代に生き抜く体制を作り直さなければいけない時期であると知るべきです。
蛹は冬篭りをしているのではなく、体内で蝶になる大準備をしています。
日本の企業は人も商品もグローバル社会に向けて通用するように準備をする事が必要です。
当社より条件が良い会社があったらいつでも転職できるグローバル規模で通用できる人材を育てます。当社はそう育った人材をして、当社で働きたいと言っていただける企業作りを目指しますと宣言をすべきです。新しい体制づくりは教育から始めるべきです。
すると目指すものは、専門性と関係性を以って、顧客との関係性を通じて、顧客の価値を発見し実現できるステークホルダーとの持続した共生・共歓関係を確立することであることがわかります。社内で議論をしてください。必ずここにたどり着きますから。
また話はまたもやクルリンパと変わります。
昨日、ある会社の営業社員から電話がありました。
御社の複写機費用を30%削減する提案をしたいのですが会っていただけますかという電話でした。
私は即座に、その30%は御社の身を削ってつくり上げた30%でしょう?と問い質しました。営業社員は急に黙ってしまいましたが、そうですと、か細い声で応えました。
御社ではコスト削減が厳しいのでしょう?と再度問い質すと、そうですと、またもか細い声で応えました。いつまでコスト削減が続くのでしょうか。御社が削減した金額の5%をさらに削減しませんかと言う会社が生まれたらどう対応するのですかと聞いても返事はありませんでした。
先週は我が社と長く付き合いをしている事務機販売会社から、複写機メーカーの人と一緒に訪問したいといってきたので会いました。メーカーの人は自社の製品機能をとうとうと流れるように話しました。PDFを複写機で作れるとか、複写機にデータ保存場所があってとか、数え切れない機能を説明しました。それで3年前に入れた複写機と交換すればコストはこれだけ削減できると言いました。自分たちの都合ばかりの
話した挙句コスト削減の話でした。
私はPDFをPCで作成できますし、PCのHDは容量があるから複写機に貯蔵する必要はありませんというと、彼はこの機能を活用すると便利なんですがねえといって帰りました。
これらが名だたる大企業の営業現場の現実です。
私はこうした企業内部には厳しい競争があって、経営層も失敗を許されない競争の社会があるのではないかと想像します。売上を目標から落としたら椅子を他に奪われると言う古風な競争です。だから価格を下げてでも一定の製品台数を確保して、残りはコスト削減で帳尻を合わせる経営をしているとしか想像できません。経営者もまたグローバルで生き抜く専門性を持って育っていないのです。
これらに共通している事は、
ビジネスモデルが高度経済成長時代と何一つ変わっていない。
グローバルで活躍できる専門性を持ち備えた人材教育をしていない。
小さな社内でのパイを奪い合う古風な競争社会が出来上がっている。
人をコストとして扱い不要な材は切り捨てることで帳尻を合わせようとしている。
人にグローバルな専門性がないから切り捨てられた人は路頭に迷う。
こうした社会が日本を閉塞に導いていると言う事です。そしてこうした社会を作っているのは日本の経営者なのです。
話をクルリンパと変えるのはこれでおしまいです。
私は冒頭の友人が最後に残した言葉を忘れる事ができません。
「自分はITで人間を幸福にする!と信じてやってきたけれど、ITは人を幸せにしなかった。
ITで便利な世にはなったけれど、だからといってハッピーにはしなかった」
私は本号を友人に対するレクエイムとの思いで書きました。
人は時代背景に翻弄されながら生きている弱い存在です。人間をハッピーにできなかったのはITのせいではありません。時代背景が人間をそうさせているのです。歴史的背景といってもよいでしょう。過去はすべていまにつながり、未来はすべていまから派生しているのです。過去から繋がったいまを仕切る人間が、いまと未来を作っているのです。
その人間が、未来に繋がるであろういまの経営を行っているのです。
だから、変えなければいけないのは人間の思考そのものです。
グローバルな競争が激化しています。家電は完璧に韓国に負けました。3Dテレビも韓国勢に負けると予測されています。今は日本のメーカーが韓国製品を模倣するまでになってしまいました。すべては日本人の成功体験が思考を傲慢にして、景気が悪くなると冬篭りを決め込む体質がなせる業です。
あのトヨタさえもアメリカから大変な仕打ちを受けています。電気自動車時代になると自動車産業はどうなるか予測が付きません。
日本人は昔から根を見ないで、咲く花(現象)を追い続けます。その話を冒頭に申し上げました。クラウドコンピュータは一現象に過ぎません。多様性が生じた一現象です。
日本人は相変わらず花を追いかけます。まるで桜前線を追い続ける花追い人のようです。
根は原理原則のことです。このCRMは経営上のどの課題を解決してくれるのか。ここが根っこの部分です。クロウドコンピュータは所有から使用といいますが、メリットと同じくらいデメリットもありますし、クラウドコンピュータには適合しない業種もたくさんあります。
ですからクラウドコンピュータを販売して新しい分野へ出ようと言う事ではなく、企業は顧客の価値を的確に把握して実現できるように社員を育てることが友禅順位がはるかに高いのです。
日本の企業の多くは投資を止めて冬篭りをしていますが、ただじっとしているだけで次の時代に合わせて企業の体制を変えようとしていませんから、長いトンネルを脱出できません。トンネルなどは実際に存在せず、皆トンネルがあってトンネルにいると思っているだけです。だから新しい体制を作った会社だけに新しい希望と光が射すのです。
コスト削減は限界があります。社員を削減するにも限界があります。いまは、新時代に生き抜ける体制を作る時です。
私は何を冬篭りと称しているのでしょうか。答えは一つ。
経営者の生き抜く力が停止していると言っているのです。
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