テイトギャラリーはビックベンの近く、テームズ川のほとりにあった。
私はウインチェスターから列車に乗ってロンドンのウォータールーへ行き、テイトギャラリーを訪れた。
ジョン.エヴァレット.ミレイ(1829~1896)が描いた「オフィーリアの溺死」の前に七歳か八歳くらいの少年達が15人ほど床に腰を下ろし、若い教師の説明を聞き入っていた。若い教師はいかにも英国人らしい女性で、足首も隠れるほどの長いスカートをはき、フリルの付いた白いブラウスを着て、絵に背を向けて手を振りながらこども達に絵画の説明をしていた。
この絵を飾る部屋はさほど広いスペースではなかったが、壁面には余すところなく絵画があって、私はこの部屋で絵画の鑑賞に20分ほどの時間を使った。その間教師は「オフィーリアの溺死」の前に立ち、熱心に子供たちに語りかけていた。それで私は、若い教師の目的がテイトギャラリーでなく、この絵画を見るためのものだと計り知った。長い時間を掛けて何をこども達に伝えようとしているのかが気になった。私は、こども達から離れた部屋の片隅に立って、美しい教師や天使のように可愛いこども達を眺めていた。
『この女性の名はオフィーリアというの。溺死をしたの。だからタイトルはオフィーリアの溺死というのよ。唄を歌っているようには見えない?周りには花がたくさんあるわね。右手には花を持っているでしょう。オフィーリアはなぜ溺死をしたと思う?
彼女は花輪を柳の枝に掛けようとしたの。柳の枝は柔らかいでしょう。それでオフィーリアのバランスが崩れて流れる川に落ちてしまったの。オフィーリアは川の流れに身をゆだねながら唄を歌っていたのよ。でも次第に衣服に水が浸み込んで身体が沈んでいって、溺れ死んでしまったの。なぜ、川に落ちたオフィーリアは水に流されたまま唄を歌っていたんでしょうね。なぜ助かろうとしなかったのでしょう。誰か分かるかな。オフィーリアは気がふれていたの。なぜでしょう。それはオフィーリアの恋人が自分の父親を殺してしまったからなのよ。オフィーリアの恋人の名前を知っている?デンマークの王子で名前はハムレット。ハムレットは父親の敵を討とうとして、間違って恋人の父を殺してしまうの。それを知ったオフィーリアは苦悩のあまり、とうとう気がふれてしまったの』
若い教師はこども達に長い悲劇の物語を一部始終語っているのに違いなかった。教師が語る物語はオフィーリアの溺死から話が始まっているところがこの戯曲と筋道が違うことであった。
ハムレットの悲劇を題材にした絵画を前にこの戯曲を語ってから、次に教師は物語の作者に及んだと確信する。きっとこんな風に。
『この物語の作家はウイリアム・シェイクスピア。1564年にバーミンガムの近くにあるストラトフォードで生まれた世界的な文学者。たくさんの作品を書いているわ。
ハムレット、オセロ、リヤ王、マクベス。これを世界四大悲劇というの。それからロミオとジュリエット、夏の夜の夢、ベニスの商人、アントニーとクレオパトラ、まだあるのよ。じゃじゃ馬ならしでしょう・・・・シェイクスピアは悲劇を書き、喜劇を書き、悲喜劇を書き、史劇を書いた作家なの』
教師はこども達に絵を題材にしてハムレットを語り、シェイクスピアを語っている。こども達はシェイクスピアの名をジョン.エヴァレット.ミレイが描いた「オフィーリアの溺死」といっしょに脳裏に焼き付ける。こども達は物心が付いたら必ずシェイクスピアを読むに違いないと思った。それにしてもなんとした教育方法であるか。
私はテイトギャラリーに飾られた至宝の絵画よりも、若い教師が未来の大人達に知の種蒔をしている姿に恐れ入り、頭を垂れた。私は英国の奥深さをテイトギャラリーで学んだ。
私がハムレットを読んだのは、実は若い女教師が語った悲劇の物語をこども達と一緒に学んでからのことである。