はじめにCRMが日本に登場した背景をお伝えしよう。日本におけるCRMの歴史は短いのだが、BREALOGIC(BREA理論)を語る上で重要な事実になる。
■第一期 ワントウワンマーケティング期(1995〜97年)
一九九五年ドンペパーズ・マーサーロジャースの共著ワントウワンフイチャー(ダイヤモンド社)が、ビジネス書としては爆発的にヒットし、IT業界はワントウワンマーケティング一色になった時期があった。アメリカでは一九九三年に発売された本書はやがて来るだろうインターネットビジネス到来に向けて、従来のマスマーケティングでは対応ができない。そしてインターネットビジネスに対応するのはワントウワンマーケティングであるという概念提案書であった。
ワントウワンマーケティングの話に、各企業は自分の業態に合わせて都合よく解釈をした。流通業、メーカー、できたてのEコマース企業はそれぞれ自分の業種に合わせてワントウワンマーケティングを自社に当てはめて考えた。
しかしながら、ITベンダーが提案するワントウワンマーケティングには中身がなかった。つまり提案するべき商品もコンセプトも理論も不在であったのである。
ただ、ワントウワンマーケティングという名称だけは強いインパクトでビジネス業界に残った。
■第二期 コンピュータテレフォニーインテグレーション期(1997~98年)
次いでコンピュータと電話が融合したコンピュータテレフォニーインテグレーション(CTI)が、登場してきた。あらかじめ登録しておけば登録電話から(顧客から)電話が入ればコンピュータに顧客の名前、住所、電話番号、購入している商品情報などが一覧で自動的に出てくるので、顧客のことをよく知って対応できる。だからワントウワンマーケティングであるという触れ込みで登場した。
大手ITベンダーのTV・CMを覚えている方は多いだろう。
電話が鳴るなり、亭主は電話をとりながらPC画面を見る。
「山本様。毎度ありがとうございます。いつもの商品ですね。お送り先はいつものご住所でよろしゅうございますね」
こうした対応がすぐできるからワントウワンマーケティングが実現できるということであった。いまだに鮮烈に記憶が残るくらいのCMであったから、バブル時期でもあり当時はこれでワントウワンマーケティングが実現できると大きく宣伝投資をしたものと思える。
しかしCTIは長く続かない。ワントウワンマーケティングとしては成功しなかった。それは顧客が使用する電話機が異なると、受け手のシステムは機能しなかったことが大きな理由であるが、携帯電話の登場が何よりも電話機が異なってしまう決め手であった。CTIの考え方は、コールセンターパッケージと連携し、コールセンターへ、そしてコンタクトセンターへと発展していく。
■第三期 CRMマイページ期(1997年頃〜)
次いでEコマースにおけるマイページ表示技術を持ったITベンダーがマイページはワントウワンマーケティングであるという主張をした。
いまやマイページは普遍的な技術として普及している。しかし現状のマイページの使われ方が果たしてワントウワンマーケティングなのかは疑問が残るところである。
■第四期CRM-SFA期(1997年頃〜)
SFAはワントウワンマーケティングという前にあった概念である。そもそもは在宅勤務の社員が業務活動を逐一会社へ報告するものとしてスタートしたシステムである。CRMという言葉がワントウワンマーケティングと同じ意味を持ち、しかもITを持ち備えているということだけで、当時CTIとSFAは、ほぼ同時期に日本へ紹介され入ってきた。CRMはITを備えたワントウワンマーケティングということでITベンダーの商品になり、積極的な販売活動が始まった。
SFAは製造業トップから注目をされた。製造業は寸分狂わない工程管理、コスト管理、安全管理などマネージメント活動が定着しているが、同じ企業の営業部門におけるプロセス管理はブラックボックスに入ったままでまったく不明瞭であり、かつ予定が大幅に狂うのであった。
SFAで契約に至るプロセスを管理し、製造工程と連携を持たせて、最適経営を目指すというトップの要望からSFA導入に大きな期待を寄せられた。
しかしながらこうしたトップの期待もむなしくSFAは期待通りの効果を発揮せずに不発に終わった。
その理由は概ね次のとおりである。
① SFAに記載することと契約率を向上することとは別のアクションが必要であるのだが、SFAに記載すれば契約率が向上すると思った。しかし向上しないので営業は使うのをやめた。
② プロセス管理の活用方法を営業の上司が理解できず、単純に営業活動の管理、時間管理を厳しく行ったがためにSFAを使わなくなった。
③ 製造部上がりの社長など営業活動の経験がない経営者が、製造のプロセス管理と営業プロセスを混同し、工場では製品が予定通りに完成するのになぜ契約率がずれるのかを厳しく追及したがために社内に不協和音が生じ、SFAは使わなくなった。
契約社会であるアメリカではSFA記載は営業マンの義務的な業務であるが、同時に欧米文化はプラットフォーム文化である。プラットフォームにはプロセスが細部にわたって組み込まれている。そのプロセスに対しての結果報告だから筋が通る。
精神論がはびこる日本では、SFAは契約に直接結びつかず、日本の営業体質に合わなかったのである。
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