個人の知識にないものは存在していないと同じことである。事実としては存在しているのだが、知識がなければ存在していないことと同様なのである。だから人間はいつの時代にでも同じ過ちを繰り返すことになる。
営業マンが使わないSFAを失敗したSFAというのだが、SFAパッケージを導入して、失敗をしてきた企業は山ほどある。
昨夜は、当社がSFAのコンサルティングを行っている外国自動車メーカー直轄販売会社の支店長と食事をしながら4時間以上もSFAについて話し込んだのだが、実はこの会社にもまったく使われていない(存在さえ知らない)SFAパッケージが納入されている。
2000年にワールドワイドでSFA導入が検討されたが、メーカー本社で考えるSFAには顧客の概念がなかった。メーカーは、顧客は販売会社の資産であり、メーカーとしては販社の顧客データに触れることはできないという考えが、顧客の概念がない理由であった。
これでは日本では使えないと、日本人スタッフの考えである有名なパッケージを本国からのパッケージと連動をして作ったわけだが、それがまったく使われていない、存在さえ誰も知らない状況になっているのである。私は当時、この日本人スタッフから相談を受けていたが、パッケージの機能を重視して導入するという彼の考えに否定的な意見を述べたことを記憶している。機能を追求しても営業マンは使いませんよということである。
案の定、営業マンは使わない。機能がいかにすばらしいものであろうと受注に結びつかない行動を営業マンは、そぎ落とす。海を高速で泳ぎ回遊するかつおに足は不要なのである。
足がどれほど優れた機能であろうと、速く泳ぐ機能以外の機能はかつおにとっては不要な機能なのである。
さて、この支店長との面談の目的は、既納客に対するシナリオ展開の一部として、顧客の心を動かすための、わが社が担当しているリレーションシップツールについての評価と、今後の計画が目的である。
支店長は正確な資料を作成して準備していた。
「大成功です。短期的成功では15人の営業で一人平均約8人の顧客から電話が入った。支店全体では120名ほどの顧客からDMを読んだと営業マンに連絡があり、いまも顧客からの電話は続いています。これまでDMを読んで顧客から電話が入ることはありません。営業マンは非常に喜んで、目が生き生きとし始めています。顧客から電話が入ることは実にうれしいことなのです。
掲載していたクルマを見せてくれと直接来店された顧客が何人もいます。
たまたま翌週末がイベントをやったのですが、来場顧客数がいつもの2倍以上。ほとんどの方が既納客で、みなDMに掲載してあったクルマはどこにあるのかと質問をされました。この週末イベントの成果がなんと約30台。今までの2倍以上です。顧客の心が動いたのです。中期的には営業マンが顧客に電話をしやすくなった。電話をすると顧客からリレーションシップツールの話が先に出る。これまでは普段のご無沙汰を謝るところからスタートしていたのです。長期的には、このリレーションプロセスの継続で、リピート率は10%以上アップするのではないかと考えています。営業マンが顧客との関係深化ができて喜んでいることがなによりもうれしい」
このコンサルティングはBREA理論の一部分にフォーカスをして実施しているが、次にはショールームに来店してアンケート記入客に対する成約支援、納入顧客に対する顧客学習によるファン促成化を行う計画について会食をしながら議論をした。
19時に食事が始まって、話し終えたのは23時であった。
遠距離の自宅までクルマ通勤している支店長には当然のことだが一滴の酒もない場で、SFAのあり方について語り合った。
マーケティング観点から考えるSFAとは、本来こういうものである。顧客との関係深化ができて営業マンが喜んでいることがなによりもうれしいというこの支店長の考え方こそ、次世代SFAを語る最新のキーワードではないか。何よりも顧客の満足がベースになるから顧客との関係深化が図れるのである。
営業マンの行動プロセスを可視化して喜ぶのは、部下を数値で管理することが大好きな上司だけであり、営業マンも喜ばないし、顧客も喜ばない。
知識の範囲の中でしかSFAは存在しない。関係深化はマーケティング理論に基づく、顧客満足を実現するリレーションシップツールと、営業マンの言動の中でしか生まれない。
システムを入れさえすれば顧客との関係深化が実現できると考えている人にとっては、その知識の範囲の中でSFA導入を設計する。だから先人の失敗を学習できないのだ。
人間にとって知識の範囲の中だけが世界である。知識にないものはその人にとっては存在しないと同様なのである。
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