■日本人はアメリカ人ではない■
努力をすれば必ず報われるとする思想が昔から日本人にはあった。陰日向(かげひなた)なく努力をすれば神様は必ず見守ってくれる。誰がこのそうな思想を植 え付けたのかは定かではないが、おそらく封建制度を守るために藩のお抱え儒教家が、農民に植え付けたものであろう。こうした考えは日本の精神文化として根 強く残っている。
この精神文化論は二分できる。
一つは努力をすること、がんばることが大事で、結果は二の次であるという考え方である。結果は運不運もある。だからプロセスが大事で、結果は運不運で左右 されるという思想である。この風潮はいまの時代にも生き生きと残っている。がんばればいつかは成果が出る、だから諦めずに頑張らなければいけない。
明治生まれの私の父も「心さえ真の道を歩みなば、祈らんとても神は守らん」と、よく私に語っていた。
もう一つの考えは、結果がすべてで、途中(プロセス)は問わないとするものである。
何が何でも勝て。負ければお終いだ。勝つという結果が大事であって、プロセスは問わないというのである。
表現方法はまったく二分されてはいるが、根っこの部分を見つめると一つである。それはいずれもプロセスを無視していることである。プロセスが大事で、結果 は問わないというのは、プロセスを無視していることになる。結果がすべてというのも当然ながらプロセスを無視している。
この国の文化では、「結果はプロセスが作り出すものである」ことは存在しない。
この国は、過去に「プロセスの成果としての結果を実現する」ことを体験したことがないのである。
このような精神的な文化をもつ国にプロセスの成果が結果であると考える欧米の思想であるSFAが導入されたわけである。
こうした文化を否定し、科学的な営業の仕組みを導入することのためにSFAは存在するのであるが、文化を否定することは大変な困難を伴う。だからこの国でSFAを導入し企業に根付かせることは大変なことなのである。
■欧米製SFAの行方■
西暦2000年頃に鳴り物入りで登場した欧米産SFAは、一時期大ブームになって導入企業が相次いだ。
しかしSFA導入企業を追跡調査すると導入後は使用されずに終わってしまっているケースが大きい。
いまや存在さえも知られていない、忘れ去られてしまったSFAが、パソコンの中にアイコンだけを残して屍(しかばね)を晒している、そんな企業はいくらでもある。なんともむなしい姿である。
SFAが爆発的なブームになるからには、それなりの背景があった。導入が失敗したからにはそれなりの理由がある。すべては時と時のぶつかり合いが生んだことであった。
当時、大手製造会社では、製造部が合理化活動を続けて、品質や生産性を高め、クレームを撲滅し、コストを下げ、さらには納期監理、在庫管理の技術も高まり、その結果、低コストで品質も高く、故障のない優秀な製品を世に送り出していた。
こうした経営を陣頭指揮してきた経営者には、計画通りに進む製造部に対し、毎月初めに打ち出す販売予測数値と、月末に締めた販売実績値との乖離に解決手段 を示そうとしない営業部のふがいなさを怒り、かつ憂慮していた。しかも営業活動の内部に入り込もうとすると受注にいたる活動内容がブラックボックスで見え ない。製造部上がりの社長と、営業部上がりの常務とはいつもぶつかり合った。
社長は営業常務に営業部はだらしがないと怒り、常務は社長を営業のことが分からないお方だと反論した。SFAが一時期大ブレイクした背景には、このような 議論が企業内で巻き起こっていたわけである。そこにSFAパッケージが日本に上陸した。経営者からみれば渡りに船の心境であったに違いない。導入を推進す る側の「時」が熟したわけである。
しかし二つ目の時が熟していなかった。
その一つはSFA導入をシステム導入と捉えてしまったところであった。そしてパッケージが持つ機能に対して忠実に営業業務を行うように仕組みをつくったことであった。
二つは営業員にCRM機能にしたがって営業活動を記録するように指示命令したことであった。そもそもSFAは、アメリカの在宅勤務者が会社へ逐一報告する ためにできたものを下敷きにして周辺機能を作りこんでいったパーケージが多く、使用目的が日本の営業体質とまったく合致しなかったことが根底にあった。
経営者の熱い思いと、SFAを導入する企業内成熟度が合致しないままに導入したSFAが企業に定着しなかったのはいうまでもない。導入受け入れ側の「時」が熟していなかったのである。
よくパッケージ名を名指しで日案するケースがあるが多くの場合誤りである。
システムの機能を正しいとして、営業マンの行動を悪とし、システム機能に合わせた活動を要求したりするから営業マンは使わない。
それはシステムが悪いのではなく、もともとの思想が悪いのである。
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