週刊ダイヤモンド5月26日号は【百貨店動乱】特集号が組まれていた。記事を読むと伊勢丹がすこぶる元気なことがよく分かる。
私は20年以上も前から伊勢丹を知っている。伊勢丹を知るとは人間を知っているという意味である。古い名刺フォルダーから時系列に探ったら伊勢丹人の名刺だけで300枚以上もあった。子会社のコンサルティングも行なったし、いろいろと仕事を一緒にした。
その結果300枚以上の名刺があるのであって、いかに密着して仕事をやったかが分かるというものである。もちろん退職された方、今でも親しく交流をしている方など、付き合いはさまざまだが、私と伊勢丹人脈との関連は今でも深い。
さて、伊勢丹は決して今日の隆盛を一日で築いたわけではない。
私が知る伊勢丹を簡単に分析すると次のようである。
1)労使が生産性向上と高い労働条件を創り上げるために真剣に議論し改革をしていった。
私は伊勢丹労働組合の幹部とも交流があって、伊勢丹の高い労働条件を獲得するまでの、生産性向上改革の話を幾度も聴いたが今日の高い収益率は、この成果であると思う。
2)VMD(ビジュアル・マーチャン・ダイジング・・視覚的な側面で商品陳列効果を高める技術)の重要性にいち早く気付き、VMDで圧倒的に他の百貨店をリードしているNYブルーミンディルへ、会社が苦しいときも幾人もの視察団を定期的に送ってVMD技術を学んだ。安い航空会社のチケットを買って、安いビジネスホテルに泊まってブルーミンに朝、昼、夕、夜と時間を分けて日参し、ホテルに戻ると皆で討論をして翌日はまた確認しに出かけるという作業を繰り返し た。
3)VMDへの特化はやがて商品の伊勢丹というイメージが培われていくことになる。
4)それでは顧客戦略は遅れているのかといえば決してそうではない。私の知る限り百貨店では先頭を走っていると思える。考えられるあらゆることをテストして実証していることと、その結果BREAに近い手法を採用している。
例えばRFM分析で単純に顧客との関係切断するのではなく、グレード毎に顧客との切断方法をずらしているところなどはBREAのGR分析に近い考え方である。
私が20年間以上も交流をすることによって得た伊勢丹のイメージは、きわめて近代的な経営手法を取り入れた当たり前の会社、普通の会社であるということだ。
一方、伊勢丹の独走態勢を許している他の百貨店はどうかといえば、当たり前のことが当たり前にやられていない。例えば伝統的な百貨店では儒教思想が経営思想の根底になっている。
組織も権限規程が明確にない、権限が下位に委譲されていない、最近の日本のようにトップが独裁的である、経営者がまったく経営の勉強をしていない。これらは儒教的な経営が近代的な経営を阻害してしまった結果である。
また一番おかしいのは、伊勢丹から幹部を引き抜いて自社幹部に据えたからこれで自社はよくなると思う地方百貨店経営者が増えてきているところだ。
伊勢丹本店は、きわめて特殊な条件が重なり合って成功している事例であり、地方百貨店は伊勢丹本店を羨望の的にしても参考にすることは出来ないのである。
世界の東京であること、圧倒的に若者層の集客力ある新宿立地、JR新宿駅から地下道で直結している立地、VMDに長けた商品陳列、圧倒的に若い顧客層、取引先が競って売れ筋商品を並べる店舗、権限委譲されて優秀な社員達。
伊勢丹本店の成功は人が作ったものだが、その社員を何人か引き抜いたところで、地方百貨店の立地が変わるわけでもなく、人口が増えるわけでもない。また伊勢丹と同じ取引先が付いてくるわけでもなく、同じ売れ筋商品に変えてくれるわけでもなく、伊勢丹レベルのVMDができるわけもなく、生産性が一気に改善されるわけでもなく、社風が一気に伊勢丹のように変えられるものでもない。
私が見る限り福岡の岩田屋は伊勢丹人に経営が変わって成功した事例と一般には報告されているが、岩田屋は実に優れた幹部社員が揃っていて、彼等の働きによるところが大きい。
かつて岩田屋は中牟田体制下での再建計画は順調に軌道に乗っていたのだが、金融庁の政策転換で金融機関の貸し剥がしに合い、やむなく体制を変えた歴史を持っている。
岩田屋の経営改革は伊勢丹を挙げて行なわれたが、伊勢丹人をして岩田屋社員のレベルの高さに驚愕していると私は伊勢丹の知人から話を聴いている。
私の指摘は、伊勢丹の子会社になるというなら分かるが、伊勢丹の幹部社員を数人引き抜いて自社の幹部社員に据えたからこれで経営改革ができて経営が改革されるとする百貨店経営者の甘さである。
百貨店にはそれぞれ社風があり企業文化がある。よさも欠点も含めて「らしさ」というものがある。その「らしさ」を見つけて、それをよき方向に推し進めていく、そこから活路を見つけていくこと以外に改革はないと思っている。
悪くなっている会社にはお金がない。人を極限まで減らしコストも下げてさらに、千円のお金さえ使えない地方百貨店もある。そのなかでどう経営を改革していけばよいのか。
私は伊勢丹の隆盛は普通の会社が普通にやった成果と考えている。しかしそれは並大抵なことではないいろいろなエピソードも知っている。
一方地方百貨店が伊勢丹人を経営者に据えれば経営改革できると考える魂胆の甘さを指摘する。
かつて伊勢丹が努力をしたように自社で経営改革の汗をかくことが必要ではないかと思うのである。
コメント