【2007.12.07配信】
百貨店などの伝統的な経営体質をもっている企業は、昔からの伝統として利は元にありの精神が染み付いている。だから百貨店の経営統合では、必ず統合効果として仕入れ価格の減少を挙げている。
それではアパレル業界などはこうした動きをどう捉えているかを書いてみよう。
昔、服と言えばオーダーメイド(注文服)が普通であった。
百貨店の売場には生地だけがずらりと並び、採寸を取る販売員が顧客を待って、まずは寸法を測り、ついで予算や好みに合わせて生地を選択する。
工場側は、一番近い型紙を選択し、生地を裁断して縫製する。仮縫い付きという注文服では仮仕立てをしておいて顧客に着て貰い、修正の上縫製し、仕立て上がるとなる。仮縫い無しではそのまま仕立ててしまうやり方である。
紳士服だけでなく女性服もほとんど同じようであった。生地を販売する店があって、顧客は生地を選びそれを仕立て屋に持参する。ここで採寸をして希望のデザインで洋服を作るわけである。したがって当時は、生地を織る会社(紡績会社)がファッション業界の主導権を握っていたのである。
がちゃまんという言葉がある。織り機が、がちゃんと一回織るだけで一万円儲かったと言う意味である。
洋服は高く、一回の給料を全部つぎ込むくらいの価格であった。だからスーツを作るときは24回払いなどの月賦が普通であった。
その当時、既製服を作る企業群があった。人間の体型は一人ひとり違うにしても体系化できるとの考えから生まれた洋服であった。既製服は安物の代名詞でもあった。既製服とは言わず、吊るし服と呼ばれていた。ハンガーに吊るされて売場に並べている服という意味である。
既製服業界と百貨店業界に一大転機となることが起きた。百貨店業界は既製服を作って販売する企業に次の提案をした。
1.売れたら仕入れる。
2.売場面積に応じて賃料を支払うこと。
3.派遣店員を出すこと。
この提案に喰らいついた企業群があった。喰らいついたとは受けたということである。
売場は顧客の声を聞き製品に取り入れる場になった。派遣店員は百貨店閉店後、自宅に戻らず顧客の意見を、まだHOTな情報のうちに会社へ届けた。こうした地味な努力が徐々に実って、既製服業界は力をつけ始めた。
数多く売るためには、吊るし服のイメージを上げなければならなかった。
そのために有名ブランドとタイアップをし、ブランド服を作り上げた。
次に、既製服業界は、紡績会社から優秀な人材を採用して、売れるデザインを指定し、紡績のコスト体系を知り尽くしたかつては紡績会社に勤務していた人を窓口にして価格指定をさせた。
この価格でこの製品を幾つ、いつまでにという交渉である。
既製服が次第に力をつけていく段階では、紡績会社もこの要求を飲まざるを得なかった。
既製服業界はブランドをたくさん作って路面店を次々に出した。やがて既製服業界はアパレルメーカーと言われるようになった。工場は持たないが在庫リスクを持つと言うことでメーカーとなった。アパレルメーカーは垂直統合をした結果、大変な利益を出せる業界に発展した。
かつての吊るし服メーカーが世界のアパレルメーカーになったわけである。
アパレルメーカーは、利は顧客にありを実感している。在庫リスクを持ち、売れなければ返品され、面積にあわせた賃料を払い、派遣店員を送り出すアパレルメーカーは常に顧客基点に立った製品開発をした結果が今日の隆盛を勝ち取ったわけである。
さて、百貨店はいまだに利は元にありを信じている。大合併の成果を仕入れコストの低減に置いているのだが、またここでもアパレル業界と百貨店業界は一大転機を迎えている。
アパレル業界はいつまでも百貨店業界に売り上げを依存する体質から抜け出そうとしている。
百貨店はいずれ衰退する。だから今のうちに路面店を出して、販売組織の構造を変えていこうとしている。このことはアパレルに限ったことではない。有名ブランドも次々と一等地に路面店を出している。
こうした百貨店離れの背景は、百貨店がいつまでも消化仕入れ、派遣店員制度、面積に応じた賃料の支払い、さらには最低保証制度など、百貨店だけがWINになる構造を、さらに強化するための合併統合なら、自分達は企業防衛しますよという働きが生じてくるのは自明の理である。
私には次の一手が読めてくる。路面店にだけ売り筋商品を置けば顧客は百貨店からブランドの直営店に流れる。なぜならブランド、高級アパレルは買い回り専門 店であるからである。こうして専門店に力をつけてから百貨店の売り上げが低い順に、リストアップをして撤退を図るようになる。
次にこれまでの顧客戦略にない、顧客を育成する仕組みをアパレルやブランドの直営店舗が身につけたら、鬼が金棒をもつことになる。
利は元にあるのか、顧客にあるのか、よく考えていただきたいと思うのである。
コメント