【2008.09.05配信】
混迷している百貨店業にあって唯一の希望は伊勢丹モデルであった。このモデルが自社でも成功すれば経営は立ち直ると一部の経営者は考えた。日本の百貨店は伊勢丹のシステムを導入し、顧客制度を導入し、メンズ館モデルも導入し、MD政策も模倣した。
そればかりか出身者を経営者に据えて伊勢丹モデルの導入を図った。伊勢丹もこれに応えた。私の親しい伊勢丹の幹部社員は、「うちとて優秀な人材が有り余るほどいるわけでなく、その中から人選をして他社の要望に応えている」と言っている。しかしそうして導入した伊勢丹モデルであってもトライアルの結果、それが地方百貨店には通用しない新宿店だけの成功モデルと分かった。伊勢丹モデルは、日本で東京に一店舗だけあればよい、極めて尖がった高級専門店型の百貨店であったということがわかったのである。
流通業を真剣に勉強すれば、もっと平たく言えばNYに専門家を連れて一週間ほど流通業視察をしてくれば伊勢丹新宿店モデルが全国百貨店に通用する普遍的なモデルでないことはすぐに分かるはずであるのだが、百貨店経営者の一部は、あまりにも勉強不足であった。
販売の現場から離れた場所にいて、売上げ数値だけを追いかけている百貨店経営者は、今月は雨が多くてとか、強い風が吹いてとか、あのブランドが出て行ったとか、まるで夜店のオヤジの弁解に似た、幹部社員の言い訳に思い切り渋い顔をして見せるしか方法はなかった。
つまり百貨店はこれまで近代的な経営能力を養ってこなかったわけである。ここが今日の百貨店業界の根底に流れる課題である。その背景は、百貨店が時に江戸時代まで遡る伝統的な歴史を持つ業態であることにも要因がある。多くの経営者は幾つもの支店長を体験し、本部に昇ってそれからトップになるのであるから売場の体験と、毎月の売上げを達成するためのイベント企画や、集客できる販促アイディアなどを承認する仕事や、後はお決まりの店舗改装と有名ブランドを入れることしか体験していないのである。
伊勢丹とて現在のモデルは一日で出来たわけではない。議論好きの社風をもち、集中して課題に取り込む強い精神力があったからこそ、いち早く感性に理論を添えたMD政策や製品を良く見せるVMD政策を独自のノウハウにまで高めることができたわけである。
多くの百貨店経営者は有名ブランドと大掛かりな店舗改装をすれば、増客増収と信じていた。
事実そうであったのだが時代は動き成熟化した市場に移り変わり、商品に差別がつかなくなり商品はどこからでもいつでもオーダーできて手に入る時代にあっては、店舗改装効果はROIの観点からは語れなくなってきたし、頼りの有名ブランドへの顧客離れが出てきて有名ブランド本社は日本戦略を再考し始めている状態に陥った。
まずはこれまで信じていたことがすべて音を立てて崩れてきているのである。
百貨店の課題はビジネスモデルがテナント不動産業(場所貸し業)になってしまっているということだ。考えているのはテナント不動産業としていかに大量集客をするかということだけである。ここから脱却して本来の百貨店に戻ること、言い換えれば百貨店の看板を信じて買い物をしている顧客との結びつきを全社レベルで強めることが欠けているのであるアパレル業に喩えて話を続けよう。売場は出店企業からの派遣社員で占められている。
昔、百貨店が消化仕入れ制度を導入し、面積に応じた最低売上げ金額保証制度を導入し、派遣店員制度を導入した。当時、吊るし服と言われていた既製服業は多大なるリスクを抱えて百貨店が提案してきたムチャとも言える要望を飲んだ。そのリスクを回避するために派遣社員は顧客のニーズをとことん聴きだし、夜は百貨店から自社へ戻ってミーティングを行い顧客の声を製品に取り入れた。かつ力を付け出すと川上から川下まで垂直統合をして吊るし服とさげすまされていた既製服メーカーは、今日の隆盛を築いていったわけである。
いま、アパレルメーカーは、実に低落をしている。QRを言い訳にして商品の手抜きは目で見えるようになっていった。高額衣料メーカーは素材に逃げ、手をかける部分を削除した。
その上販売員がいかに売りつけるかに専念している。それでいて商品説明が十分にできない。
私は必要に迫られてスーツを買いに行きながら、買いたくなくなって戻ってくることを幾度も経験をしている。
話を分かりやすくするために一例を挙げよう。
私は秋口に着るスーツを探しに百貨店に行った。正確には24年間着つづけているなじみのブランド売場であるのだが、男性の販売担当者は冬服の厚い生地のスーツを押し付けるように売り込んできた。こんな厚い生地では今の時期には暑くて着ることはできませんよねといっても、いえ、これは合服で冬服ではありませんという。
この服が合服か冬服かの定義をしに来たのではないのです。この生地の厚さでは初秋に着ることはできないではないかと言っているのですと私は反論をした。
すると、この男性は「たまにはこういう高級スーツをパリッと着てみたらいかがですかねえ」と発言をしてきた。
帰りに同じ百貨店の世界的な有名ブランドの看板がついた軽食レストランで遅い昼食をとった。
サンドイッチとコーヒーのセットだが価格はスターバックスの4倍ほど高い店である。
ところが驚いたことが起きた。最後の一切れを手にとった途端、いかにもバイト風の店員がサッときて、サンドイッチの皿を持っていってしまったのである。
私はあっけにとられ、同時にミスター・ビーンのギャグ映画に被害者として出演しているかのような気分になった。びっくりカメラがどこか出回っているのではないかとあたりをきょろきょろしてしまった。百貨店の高価な軽食レストランで食べている途中に皿を引き下げられるという人生初の体験をしたのである。
私が言いたいのは顧客第一主義と言っている百貨店でなぜこのようなことが起きるのかということである。なぜ接客の定義をしないのか。なぜ自社のCI色に染めるべく派遣販売員を教育訓練しないのか。教育訓練をして合格しなければ売場に立つことは出来ないようになぜしないのか。ということである。それをやらないのは自社がテナント不動産業という認識だからであると私は思うのである。それが言いすぎなら、顧客戦略が出来上がっていないのである。
ところが、そうでもない動きも出てきた。
先日、日本橋高島屋のすぐ近くにあるビルに仕事で行くことになった。日本橋にあまりにも早く着いてしまったので、会社の取締役と二人で高島屋の喫茶店に入った。ところが同じフロアーの途中で出会う販売担当者の全員から、ていねいにしかも大きな声で、自然体で「いらっしゃいませ」と挨拶をされたのである。彼女達は通路から外れ、脚を揃え、頭を下げてそれから姿勢を元に戻してすれ違った。この人たちは売場を担当する社員であると、顔つきを見てそう思うが、実は歩いていて売場に立っている派遣販売担当者からもお声掛けの挨拶が幾度もあったのである。
高島屋は百貨店のなかでも特に経営層がCRMに熱心で、投資をしていることでIT業界では有名である。「うちは高島屋である。高島屋に関わるものはだれでも高島屋の一員である」と定義がなされているのかは知らないが、このような時代ではエモーションで顧客を捉える顧客戦略こそが有効な働きをする。
百貨店が足りないものは唯一、CIに基づいた顧客戦略である。
百貨店の店舗は美しく商品も安心できる。しかしその商品を購入するのは顧客である。
顧客こそが売上げと利益を作る唯一の存在である。その顧客に対して大部分の百貨店は戦略を持たない。
顧客データベースを導入しRFM分析で顧客を抽出できるようになればCRMができるとIT企業の説明を鵜呑みにして、たくさん買っておなか一杯の顧客にだけもっと食べなさいとDMを送り続け、ヒット率が低いと嘆きながらも、RFM分析を行えば顧客戦略ができていると思い込んでいる百貨店がいかに多いことか。
うちは顧客第一主義で顧客を大事にしているといいながらもRFM分析でいま買っている顧客を抽出してDMを送り、買わなくなると手のひらを返して顧客無視を決め込むことが顧客戦略という名前の下に行われている。ほとんどの百貨店の顧客戦略は、手のひらを返す戦略、顧客を無視する戦略を取り入れているのである。
顧客戦略とは突き詰めれば顧客ケア戦略のことである。
売上金額=顧客数×購入頻度×一客点数×商品単価である。この公式を見れば分かるように購入頻度が2倍になれば売上げも2倍になる。これまでは店舗改装をし、有名ブランドを入れて、すなわちMDとVMDに力をいれてさえすれば、あとは集客の技術を高めることで顧客戦略はしなくても百貨店経営はうまく行くという時代ではなくなっている。
伊勢丹モデルが自店を救うモデルではないと分かった時点で、百貨店業界は混沌に入り込んだが、残る次の一手は存在する。それはこれまでのデータベースマーケティングではない、LTVを実現できる顧客戦略の導入である。
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