【2009.02.27配信】
ブレアコンサルティングの服部です。
2008年危機を乗り切るには、経営パラダイムを変えなければ対応できないと考える経営者は少なくありません。そこでパラダイムの変換について説明をします。
歴史的にみて日本人が身近なパラダイムの変換をなしたのは、幕末から明治時代に生きた日本人が体験をした明治維新と、太平洋戦争の敗戦と米軍の占領による政治的、社会的な改革時期であったと思います。
明治維新はアメリカから黒船6隻を率いて来日したペルー艦隊の出現から端をなして尊皇攘夷思想(徳川幕府から天皇へ王政復古し、外国を排除しよう進め、江戸城の無血開城を実現しその後、天皇が京都から江戸城へ入城、明治政府ができるまでの時代一新の期間と出来事をいいます。
明治維新は下級武士による革命であったわけですが、これを革命と呼ばないのは無血開城を成し遂げたからであって、実際には彰義隊との戦いや、福島県会津藩の抵抗活動、函館五稜郭に篭った新撰組土方歳三他700名の幕府軍による抵抗活動はありましたが、幕府軍と官軍による激突はなかったところによります。
明治になると攘夷思想は消えていきます。外国の近代性を目の当たりに見た明治政府要人は外国から学び、軍備を固め、国を富ませないと、清や東南アジア各国のように欧米列強の植民地になってしまうと考えられたからでした。
この時代のキーワードは「富国強兵」。すべて官が主導し官が決めた時代でもありました。このルールは今日まで続いています。企業活動は富国につながるところから官に守られて個人が粗末に扱われた時代でもありました。
明治時代から続いた足尾銅山事件などは銅による公害事件として誰もが知っていることですが、当時は銅が日本最大の輸出製品でしたから、銅毒に抗議運動を起こした農民らを警察が次々と逮捕する時代でした。日本は日清戦争、続いて日露戦争に勝利し、軍部は一気に力をつけて太平洋戦争への道を猛進することになります。
幕末から明治に至った時代は政治的、社会的な改革を背景にして時代は一新し、日本人は新たな時代のキーワードを富国強兵と定め、時代の変換を乗り切ったのでした。
太平洋戦争の敗戦と占領によるパラダイムの変換も政治的、社会的な改革でした。
戦後の処理として占領軍は日本を農業国として再復興させることと、沖縄奄美地方を独立させることなどを計画していましたが、終戦後に東西冷戦が顕著化し昭和25年に北朝鮮の韓国南進による朝鮮戦争が勃発してから、日本を極東における防共の砦とするために工業国化へ方針を一変しました。アメリカは政治的に日本を工業国にするために技術と企業経営を積極的に導入したのです。生産性向上運動からQC活動、ZD活動などメーカーを中心とした経営手法を導入し、日本は工業国へと転身していきました。
日本は焼け野原からスタートしましたので、国内でもあらゆる生活関連商品は飛ぶように売れていきましたし、1ドル360円の固定レイトにより安い日本製品は海外に輸出されるようになりました。
三種の神器とは白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫のことですが、生活必需品としての耐久消費財が売れた時代を高度経済成長時代といいます。
この時代の特徴は、輸出に企業売上げの多くを頼った時代であったこと。国内市場も顧客が積極的に商品を競って購入する時代でありました。なにしろ商品を購入することが生活を著しく改善することに通じる時代でしたから、人々は商品を買うことに生活の喜びを感じる時代でした。
顧客が競って商品を求める時代では、発展を続けるマスメディアに商品広告を掲載することで商品は売れた時代でした。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌に企業も競って広告を掲載し、商品を告知した時代でした。告知すれば商品が売れることなどいまの時代には考えられないよき時代でもありました。
社会的にインフラは構築途上であり、企業も製造するためのインフラ、販売するためのインフラを整備している時代であり、これらをいち早く整備した企業が大量生産、大量販売の流れに乗って大企業化への道を進んだ時代でもありました。
この時代では人の頑張りが、企業業績を左右しましたし、商品の需要度によって売れ行きが決まるということよりも、商品そのものがすべて必要な時代でしたので、そして資金が企業を拡大する必要なものでしたから経営の要素としては人と商品とお金があれば経営は成り立って行った時代でした。ここでは人は企業の資産と呼ばれていました。
次に企業は人、物、金の三要素を管理することによって生産性を挙げ、無駄を排除し、利益を獲得する手法を学びます。経営管理手法は日本企業の隅々まで広がることになります。
この時代に優秀な学校を卒業すれば一流企業に入社できるとする学歴競争時代に突入します。明治時代に官僚を育てるために東京大学を創立したように、企業も優秀な人材が優秀な製品を作り、売り、人、物、金を管理して利益を出せると信じたのです。優秀な大学を出ればホワイトカラー族になって、肉体労働はしないで、頭脳労働で仕事をすることができると日本中が信じたのです。
こうして優れた頭脳を持つ人たちによる管理社会が形成されていきました。やがて人と物と資金はコストであると気づきます。コストを管理するための手法として非雇用社員制度をつくり、企業は景気の調整弁として非雇用社員を積極的に採用することになります。
家庭の主婦で非雇用契約社員としか働けない人はたくさんいますから、この契約体系が問題ありとは思えません。しかし正規雇用社員として職を求めているのに非雇用契約社員としてしか職がないということは社会的には問題になります。
明治維新と戦争後の占領社会という二つのパラダイム変換は政治的、社会的な革新で他律的な運動によって起こされたものでした。
他律的なパラダイムの変換によって、国民はいやおうなく新たなパラダイムを構築しなければ生きていけない時代でした。
2008年危機でなぜ経営者はパラダイムシフトを叫んだのでしょうか。その背景を探ってみます。
一つは景気が垂直落下したことです。毎年2兆円を超える営業利益を上げていたトヨタが営業損失3500億円を計上するとのショックは計り知れません。
二つはアメリカの金融資本主義が崩壊したら中国もロシアもECも東南アジアも南米も、豪州も世界が同時不況になってしまったことです。当初、日本の影響は軽微であると与謝野大臣は発表をしていましたが、実態はGDPの下げ幅が震源地アメリカの4倍に及ぶものでした。
輸出に頼る産業構造が大きく崩れたわけです。
三つは、国内市場はすでに2006年をピークにした人口減市場に変わってしまったことによります。その上、成熟化した市場によりますます販売がむずかしくなってきたことです。
戦後から日本はアメリカから占領されたことによってアメリカナイズされていきました。
それは主にマスメディアを通じて行われていきました。アメリカ文化は日本のマスメディアを占領することによって日本文化を駆逐していったのです。衣・食・住におけるアメリカ化だけでなくアメリカ的な経営手法は、やがてグローバルの名の元に世界標準であり、グローバル化を肯定し積極的に受け入れなければ国際競争時代に勝てないとする風潮が一般化しました。
CEOとかCOOと日本経営者が肩書きにするようになったのは最近のことですが、企業にとって株主最優先の考え方や、クーターで決算をして収益を見つめることなどは、完全にアメリカの影響です。アメリカでは取締役会とは株主を保護するための機関で、経営を見張るための機関であります。取締役会は短期で収益を上げることを経営者に要求しますから経営者はこれに応えなければなりません。短期で売上と利益の改善する方法を実現する手っ取り早い方法は、企業の買収でス.そこでアメリカでも日本でも企業買収)M&A)が進みました。
R&Dに時間や人材投資をしないで儲かるようにするには、将来性ある自社の不足をカバーする企業の買収が売上と利益を構築する一番早い方法です。
この方法はやがて金融商品を作るなどグローバル資本主義を担っていきます。
この仕組みが瓦解したわけです。
ですから日本の経営者がパラダイムを変えなければ生き残れないという本質は暴走した金融資本主義の崩壊が本質に存在しているわけです。これが四つ目の理由です。
ですから新しいパラダイムを冷静に見つめますと、企業に絶対必要でこれまで手を掛けていなかった顧客に対するポリシーの樹立と、アメリカ的な経営から日本的な経営手法の確立であるといえます。
今後50年のパラダイムは顧客戦略(CUSTMER POLICY)導入による顧客の歓びを企業の歓びに変える日本的経営手法の樹立に、歴史的に見てたどり着くのです。
問題は、このパラダイムの変換は自律的に行わなければ実現しない点です。戦争に負けて家屋は燃え、工場も本社も無に帰してからの立ち直りではなく、今回の変化は自分で律して変化を発見し、自らを律して対応していかなければ変えることができないパラダイムの変化なのです。
政治的、社会的な環境の変化による他律的な改革ではなく、自らが律して変化を対応していかなければ変われない変化の時代を迎えたことです。
急激に環境が激変すれば誰でも変化に対応できますが、今回は見えない人にはまったく変化が見えませんから気が付いた時には茹で上がって一巻の終わりというパラダイムの変化ですから、今回の不況もやがて好況になると見逃してしまうかもしれないのです。
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