先日、友人から誘いを受けて冬の京都へ赴いた。
友人とは、もう二十八年来のお付き合いとなる。若いころは気が付かなかったが、時が経ってみると、友人とは美意識の価値観が共通していて、それは芸術論から絵画論、哲学論、料理、酒にまで話は及び、共通した美意識に裏打ちされているので、会うことが楽しく、話すことが楽しい。
歳を経て、このような友人がいることは、私にとっては大切な宝物を持っていることと同じである。だからいまも、京都でどこか一つ庭園を見て、飯を食べに行きませんかと誘いがかかると、二つ返事をしてしまうわけである。
友人は圓徳院を見ましょうと言った。
圓徳院は秀吉の北政所、ねねが秀吉の没後七年を経て高台寺を建立し、伏見城の化粧御殿と庭園を移築した高台寺の塔頭である。
早朝の圓徳院は静かであった。大部分の観光客は直接、高台寺に向かってしまう。
伏見城で秀吉とねねが眺めて暮らした石組みの庭園は、圓徳院の奥にあった。
わずかに滋賀の言葉がまじる寺付きのガイドさんは、「冬だけしか、この石組みの全景を見ることはできません。春になれば木々が緑になり、大方の石は隠れてしまいます」と言った。
私達以外に、誰もいない庭園で静かな時を過ごした。
私は、誰かを待っているような過ごし方をした。ここにじっとしていれば誰かがやってくると思った。
ここは空間であり、時間ではなかった。
一つの空間にどれだけの時間いるか、それが人生のすべてである。空間は常に変化する。自分にとって都合がよいことばかりは起こらない。心地よい空間もあれば悲痛な空間もある。他人はその空間を通過していく。自分は空間に一人取り残されているが、自分も他の人の空間を通り過ぎていく存在でしかない。
人はみな孤独である。だから一つの空間に群れて住む。
孤独に勝ち得るものだけが、自由に生きられる。
ねねが秀吉と暮らした化粧御殿と、その庭を移築したには、きっと思い出深いことであると私は思った。庭では鳥が鳴いていた。それ以外には音はなかった。
やがて友人は、行きましょうと声を掛けてきた。
庭園の端に出口があった。出て振り返ると一枚の木戸があるだけであった。この木戸をくぐれば、秀吉とねねが眺めて暮らした石組みの庭空間が存在しているとは、誰も思えない。私達は遠い過去から舞い戻ってきたような錯覚をした。
前夜、「京とみ」の親方が包丁を握る懐石料理は絶品であった。そして翌日は圓徳院を見た。そして近くで昼食をとった。
価値観を共通している友人との旅はとても楽しい。我慢をしなくてよい。自分の思ったことを発露すれば肯定しながら会話は前へと進む。否定も無視も存在しない。議論があったとしてもそれは共通する価値観を深める満足だけが残る。
食事を終えて外へ出ると、雲行きがおかしくなってきていた。
私達が新幹線ホームに立つ頃には、景色は雪に変わった。一気に寒波が押し寄せてきた。雪の庭園も見たかったし、早く上がってよかったという気もするしと友人は言った。確かにどちらを選んでも一長一短の選択ですねと私は言った。のぞみ号がホームに滑り込んできて、名残りの会話は終わった。