911はNY世界貿易センターテロの日である。311は東北大震災(地震+津波+原発事故)の日である。2011は東北大震災が起きた年である。その年が明日で終わる。
人間は自然の一員である。自然とは宇宙のことだから人間は宇宙と直結している。人間は宇宙の一員である。人間は地球から生まれ、人間は宇宙のリズムで生きている。ところが脳が発達しているから脳の創造力は宇宙を超えている。宇宙はそれを許さない。あくまでも宇宙の一員としか認めていない。その線を越えると宇宙は人間を滅ぼす。人類が滅び往くのは、脳が宇宙のリズムを破壊し過ぎた反作用である。
2011年、世界の人口は70億人になった。1901年、つまり20世紀初頭には63億人であった。これから加速度的に人口は増えていく。100億人になる日は、そう遠くの話ではない。
そのうえ人間は自然界に存在しないものを作った。放射能元素は地球にあるものだが、きっと宇宙が、脳の発達した生き物がここに手を触れたら滅びのスイッチを押すことになると仕組んだモノかもしれない。人類はそれを触れた。
あれほどに恐いものであることを知ったにもかかわらず原発はこれからも動き続ける。背景には人口増加に対するエネルギーの供給がある。だからやめられない。
いずれにしても2011は大変な年であった。しかし振り返って悔いても始まらないから人間は前に進まなければいけない。
日本は増税が待っている。きっと経済は疲弊するだろうな。日本人は今以上にお金を使わなくなる。日本は高度経済成長時代モデルしかできない。ビジネスの世界は完璧にそのとおりだ。どこにも専門家がいないから、そして専門家に任せる組織体制ではないからだ。新幹線を伸ばせば景気が浮揚すると思っている。高度経済成長モデルはいまでも生きている。
私は今日も出勤して仕事をしている。これも高度成長時代のモデルだ。企業戦士がもてはやされていた時代の仕事振りだ。
こうして2011がまもなく終わる。みな時代を背負って生きている。誰も時代背景から逃げ出すことはできない。私たちは高度経済成長時代をよく知っているが若者は生まれたときから沈滞した日本しか知らずに生きている。
娘の子どもたちは地震が来るとすばやくテーブルの下に身を隠す術を持っている。こんなひどい時代に、子どもとしか見えない一年生議員が政府の要職についている。素人が国を動かしている。ここにも専門家がいない。
これも一つの時代背景である。こういう暗い話がでてくるのも時代背景である。2011はこの時代の背景を背負って過ぎていく。しかし個人では誰もどうすることもできない。それが時代と言うものだ。
今年の救いはなでしこの優勝であった。最後まで諦めずに戦って勝ち得た栄冠は日本人を熱狂させて励ました。
こんな晦日は、好きな詩人、室生犀星の「切なき思ひぞ知る」を再掲し、思いをいまや凍結している軽井沢に馳せて遊ぼう。
室生犀星
我は張り詰めたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
我はその輝けるを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
我はつねに狭小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり
さればこそ張り詰めたる氷を愛す
斯る切なる思ひを愛す
昭和三十五年十月十八日