企業の現場では今月の売り上げを達成することだけに追われている。百貨店などは今月どころか今日の目標達成だ。どこの百貨店でもそうだが夕方3時にはその時間までの売り上げが集計されて目標との差が出る。売場は今日の数値に追いかけられる。とはいえ前を歩く人を捉まえて売場にひきずり込むことはできない。こうした施策は、結局は精神論に終わってしまうのだがやらないで放置しておけば売り上げがずるずると落ちる。だから気を引き締めるように厳しくチェックを するというのが実情である。
このような職場環境では費用対効果、費用対効果を求めるのが当然の帰結であろう。
私はいつもここに大きな矛盾を感じている。
企業は顧客に心からのサービスをすることを販売員に求めている。
ある百貨店では販売員が顧客に心からの対応をした結果、顧客が感動し、時間を掛けて信書を認めて百貨店店長に送付しているこの御礼の手紙を匿名に編集し直して一冊の本にしている。
私も一冊を頂戴して時間を掛けて読んだが、顧客の感動がひしひしと伝わってくる素晴らしい内容であった。思わず目が潤んでしまったようなお手紙もあった。
この顧客は決して他店で買い物を済ましてしまおうとは思わないだろう。例えJRの駅に立派な百貨店ができても、感動を受けた顧客は、たった一つギフト商品を贈るために、地下鉄に乗り換えて、幾つもの商業集積を通り過ぎてお世話になった百貨店へ一心不乱に足を向けるであろうと思う。
どの百貨店でも、こうした美談をたくさん保持している。私はたくさんの百貨店の、たくさんの店長とも顔見知りである。定年になった店長が会社を辞める挨拶とメールマガジンを自宅に送ってほしいとメールを頂戴することもある。こうした店長は顧客からの感動美談をたくさん抱えている。
CRMの目的はLTV実現である。ならばなぜ企業は顧客ケアをマーケティングの中心に添えないのか。育成するべき顧客を徹底的にケアする。顧客はいつでもあの企業から暖かく見守られていると感じるマーケティング施策をなぜ展開できないのか。
これを邪魔するのは費用対効果の思想なのである。
昔の日本には顧客に対して費用対効果を先に求める考え方は無かった。
日本にあった商売哲学は先義後利である。先義後利は先にお客様に尽くしなさい。そうすれば利益は必ず付いてきますよという意味である。
費用対効果とは投資に対していくらの効果が生じるかの評価基準である。それそのものは必要な評価基準であり、私は費用対効果を探る評価基準を否定しない。
しかし、顧客の心を動かすための行為に費用対効果を求めるのはおかしなことと思う。
私の感じる矛盾とは、顧客に心からサービスを与えなさい、感動を売るのが百貨店ですといいながら、なぜそのことをマーケティングの施策にしないのか、属人的な暗黙知のままで放置し、企業の形式知にしないのかということであり、なぜ目標売り上げとの差を告げてがんばれと鞭を打つ施策しか取れないのかということであり、なぜ顧客に対してDMを出すことが費用対効果の評価基準でしか、見ることができないのかということであり、費用対効果というなら顧客に親切にしなさいということを費用対効果で評価しないのかということである。
BREA理論では「情」と「理」のアクションを定義し、アクションを実行することによって顧客と販売員の関係を深めていく。そのことによって顧客から顧客視点での購入にいたるプロセスの進捗を確認でき、企業視点でのプロセスが契約に向かって進んで行くとなっている。
つまり顧客との関係深化こそがビジネスが思うように進むすべてであり、したがってCRMもSFAもこの一点を目指して設計されなければいけないものであり、関係を深める投資に費用対効果を先に求めることはまったくの誤りであると思うのだ。
今、「求めない」加島祥造著 小学館 ¥1365が静かなブームになっている。
信州伊那に暮らしている83歳の詩人が、求めないことがどれほど大きなリターン(幸福)を得るのものかを語っている。求めることに強いたてられている現代 人、目標ノルマとの差を埋めることに追い立てられているけれども、目先を一つ変えて徹底的に顧客をケアするだけで自分も顧客も企業も真から幸せになれるこ とを知ることができる書であると思う。
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