【2008.07.18配信】
はじめに言葉があったのか、はじめに行いがあったのかはニワトリと玉子の話に似ている。
宗教家や法律家は、初めに言葉ありきと言う。「まずはルールを作ってからルールに沿った行動を取るのだ。言葉なきところに行動はないのだ」と言う。
それはそれで間違っているとは思えない。正論である。しかし正論とは「正論を吐く」という言葉もあるように、脳内処理であった、そうは言っても相手の立場、社会的な観点で見れば正しいとはいえないよという意味も含まれている。
営業マンはいつでも現場主義をとる。現場主義とは言い換えれば初めに行いありきの立場をとるで。行いの結果を集約したものが言葉にならなければいけないと言うスタンスである。
初めに道があったのではなく、人が歩いた結果、そのわだちが道になったのだとする考えを持つ。
それは顧客を相手にしていることがおおきく影響をしている。宗教家や法律家は道を示すのが仕事だが、営業マンは行動を示すことが仕事となる。
SFAシステムの持っている機能とは、ここでいう言葉であり、道のことである。
前号で書いたこれまでのSFAの失敗は、営業マンの行いと、システムが持つ言葉とが合致しなかったことによる。システムの機能としての道や言葉に従っても、それが営業活動の行いとして正しいものではなかった。だから営業マンは言葉を信ぜず、道も信ぜず歩こうとしなかった。
さて、営業マンは行い通りの言葉であれば、その言葉を信じ、その道を信じるようになる。
営業マンの行いとは営業活動そのものであり、言葉と道とは行動と合致したSFAの機能のことである。SFAの成功はこの一点に掛かっているのである。
営業活動は次の三つに集約される。
一つは、新規顧客を開拓すること。
二つは、案件を契約すること。
三つは、既存顧客を継続して育成すること。
(育成とは理と情の関係を深めてアップセル、クロスセルを行うことと定義する)
したがって、SFAが営業マンに新規顧客を開拓できる言葉で導いているか。案件を契約できるように言葉で誘導しているか。既存顧客とのLTVを実現するように言葉で導いているか。
そこが一番の課題なのである。
SFAの機能がそう作られているなら、営業マンは誰でも言葉に従う。言葉と行いが合致し営業活動の目的が実現するからである。
それが前号で述べたマーケティング理論のことになる。営業活動を心底理解したマーケティング理論の搭載がSFAには必要であるのだ。それがこれまでのSFAにはなかった。あったとすれば業務報告書だけであったのだ。
(次号は、「営業活動理論とは」について説明をします)
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