【2008.08.01配信】
WEDDE最新号に伊勢丹の社員が他の百貨店から招かれて経営のトップになるがうまく行かないのは受け入れ側に問題があるからとする論調での特集記事が載っている。WEDDGEは新幹線グリーン車に搭載されている雑誌だがいまはキオスクでも書店でも販売している。
私はこの論調に疑問を感じている。
私の意見は次の通りである。
伊勢丹の社員を過剰な期待をかけるのは誤りである。
伊勢丹の成功は伊勢丹新宿店の成功であって他支店を含むトータルでの成功ではない。伊勢丹は乗降客数日本一の背景を持つ特別な立地である新宿にあって、JR駅から離れている不便な立地を逆手に取り、高級専門店化を実現し成功した類まれな店舗である。いわば店舗運営が装置化されているように運営されている。
伊勢丹も苦境の時があった。小菅家による世襲経営が続き、バブルが終焉して経営危機に陥った。小菅家は退き、外部資本が入り経営の建て直しを図った。建て直しの矛先は新宿店に向けられた。初心に帰りことごとく定義し直し行動をして今日の成功を築いた。
しかし、だからと言って伊勢丹の幹部社員を自社の経営幹部に据えれば経営が立ち直ると判断するのは早計である。
伊勢丹で成功体験を持っているから、うちに来てもらえば成功するだろうと考えるのは誤りである。ここが誤りの出発点である。
まず背景が違う。店舗立地も違えば顧客層も違う。百貨店と顧客の暗黙知的な関係も異なる。
歴史も違えば生い立ちも育ち方も違う。文化も言葉も違う。社員の発想も違えば価値観も違う。
百貨店は固有の企業文化があって成り立っている。そこに伊勢丹出身と言ったところで個人に何がどれほどの経営改革ができるというのか。仕事引受人として採用した伊勢丹出身の人が成果を出そうとなれば背景の違いを無視して経営改革することになる。売れるMD政策が採用されるだろうとする期待値とは裏腹にリストラをやって収益改善をすることになり、現場の反発が生じる。
つまりは伊勢丹新宿店の成功は成功する背景があって成功したわけであり、その成功は装置化した仕組みでもたらしたものである。その一歯車に過ぎない個人が経営トップに入ったからと言って経営が伊勢丹新宿店のノウハウをすべて導入できて伊勢丹新宿店と似た成功をたどるとは限らないのである。
私も地方百貨店の実情を良く知っている。大手の百貨店から三顧の礼で迎えられた人が社長に就任してもやっていることはこれまでの百貨店での成功事例だけであって、実際にはほとんど何もできずに去っていく姿をいくつか見ている。その人の成功はこれまでの百貨店での成功であって、背景が異なれば実現することも成功する手法も異なるのだ。
各のように、百貨店そのものが伝統を背負って存在している。それを理解しなければならないのは受け入れ側の百貨店オーナーなのである。
WEDDGEでは、伊勢丹の出身者を招いて改革をするのであれば、受け入れ側も本気にならなければいけないとの論調であるが、受け入れ側は真剣で本気である。
しかし百貨店経営を改革するなら、伝統を理解し、文化を褒め称えながら改革する道を探さなければならない。俺は今までこうやってきた.だからこれに従えでは企業は動かない。
某百貨店の顧客会員制度を導入した地方百貨店が、あっという間にこれまでの会員数が激減してしまった実例は、百貨店の持つ固有の文化や伝統が顧客とそのまま関連しあっていることを示している。
だから百貨店が経営改善をするなら、自分達で改革の旗を振るようにしなければならないのである。できないのならできる人の力を借りる必要があるが、それは伊勢丹出身者ではないはずである。
私は伊勢丹の人を多く知っていて、このブログも多くの伊勢丹の人が読んでいる。
彼等はしきりに高級専門店としてファッション関係の優位性を挙げて、服部さん今度正装をして三階を歩いて御覧なさい。見え方が違いますよとアドバイスを受けた。正装はしなかったが三階を歩いてみると、富裕層中国人の団体が大きな買い物袋を抱えるようにして走り回り、喫茶コーナーはこの人たちの荷物置き場と化して占領されていた。
伊勢丹新宿店は高級専門店として素晴らしい百貨店であるが、その背景を活かしきった成果であって、これがすべての百貨店に通じないのは百貨店が立地産業であり、伝統的な文化を持っているからである。
WEEDGEの論調は、各いう意味で間違っていると思うのである。
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