私の歴史観を初めに伝えておきたい。まだ誰にも語ったことがない、私の歴史観をである。
歴史は過去にあるものではなく、現代人がいま作ったものである。過去を振返れば無数の事実が転がっている。人類誕生と言われる30万年前とか35万年前からカウントを始めても、無限にではないが、無限に近いほど天文学的な無数の事実が転がっている。
したがって過去は無数の事実が転がっているところであって、無限に限りなく近い無数の歴史が存在しているわけではない。歴史は現代人が過去に転がっている無数の事実を所々つなぎ合わせて作り上げた仮説であって、書物で習う歴史が連綿として存在していたわけではない。
この話は私の専門分野に関係してくるデータベースの分析とよく似ている。データベースには分類された、たくさんの項目が存在している。アナリストはデータベースに存在する複数の項目から必要な項目を拾い出して組み合わせたり加減乗除を繰り返したりして分析をする。その結果が抽出されるわけであるが、それはアナリストの分析手法に基づいて抽出された仮説であって、時には真説なのかもしれないが、他の項目を拾い上げればまったく異なる新たな仮説が生まれるのである。選択すべき項目を選んでいるものはアナリストの感情である。
人が歴史と言っているものは一人のアナリストが自分の関心に基づいて選択したデータベース項目を拾い上げて分析し仮説を立てている一つに過ぎない。だから歴史とは昔に存在しているものではなく、今の人が今の時代に向けて打ち出した根も葉もある、時には根も葉もない仮説に過ぎないということになる。
正直に言うと歴史とは現代の人が、個人の感情の発露から過去の事実という項目の点と点をつないで創り上げた仮説としか私は思っていない。そこで旅先で歴史物語を聴くと、時には聴いた話以外にもっと違う話もあるのではないかといつでも思う。だから私が語る歴史は、私のなかにある小さな知識内に存在する過去の事実、これを項目と言い換えた方が、定義があいまいではなく説明しやすいが、私の感情に従いいくつかの項目をつなぎ合わせて仮説を立てたものの成果物なのである。項目を事実と言ってしまうと事実としてあったことと捉えてしまう可能性もある。そこで事実なる用語はあいまいだから項目に変えたのだが、そのために事実は決して真実とは断言できないわけである。
それを証拠に沖縄戦で軍部による民間人集団自決の強要という事実も、いや項目も、政治の力で項目から外してしまうことができるわけで、外した教科書で学習したこども達はやがてそのような事実があったのかも、なかったのかも考えない大人になる。集団自決強要の項目が無くなれば、人は項目を拾い上げることができなくなり、昔沖縄では太平洋戦争末期に沖縄が地上戦になった折、軍部による集団自決強要事件があってという人は一人もいなくなる。いや、想像すらしなくなる。
この例からも歴史とは現代人が現代に向けて過去に存在した項目をつなぎ合わせて現代に創り上げたものであることが分かると思う。それらはすべて感情をベースに作られる。だからこそ個人差が生まれ、歴史物語は作家ごとに解釈が異なる歴史が作られるわけである。
私という人間を一人だけピックアップして、これまで生きてきた64年間にあったこと、感じたこと、やってきたことを項目に分類したら無数の項目ができる。これを項目ごとに分類してつないでいったら、無数の服部隆幸像が出来上がる。この物語の一つひとつを人は歴史と言っているだけで、過去に存在するのは無数の項目だけで、したがって歴史というものは過去には存在していないのである。
私が旅の寄り道をして感じることは、地方に行くほど、特に名高い城が残っている城下町に行くほど、そこに住む人々が現代人が創り上げた歴史物語に拘束されて中世期の夢から抜け出せないでいることだ。スナックに勤める若い女性が昔、たしか宝井馬琴の講談で聴いたようなことがあるなと思い出すお城にまつわる歴史話を昨日の出来事のように語るのは、地域の人々が中世期から抜け出ていない証拠でもある。しかしそのような話は過去に存在していたかはまったくの仮説であって、わからないことなのである。
ブログ旅の寄り道にはこれからも歴史の話がたくさん登場すると思うのだが、私の歴史観は実は以上申し上げた通りなのである。つまり服部隆幸の個人的な感情を通過した目で、過去というデータベースに無数に転がっている項目のうち、わずか五つか六つの点をつなぎ合わせて作った物語であることを十分に分かった上で書いている文章であるということだ。
読者の方々が、この一点を理解いただければ書く私としては非常に気楽になれる。そうでないと私は歴史に関する学者にならなければいけなくなるからである。