学生の頃、京都の花見小路で二週間ほどアルバイトをしたことがある。バイト先が花街の料亭であったこともあって、頭を丸め、ダブルの黒いスーツを着込んだ数人の男達が、肩を振るように歩いて料亭やクラブに消えていく姿を、幾度も見かけた。この人達が黒服と呼ばれる有名寺院の僧であることをバイト先の仲居さんから教えてもらった。
それから引き続いて半年ほど勤めた壬生寺の近くにあったバイト先でも、黒服が花街を闊歩する姿は、話題になった。
コンサルティング事務所を経営してすぐ、滋賀県の会社に三年通った。
ここでも、水子供養の名目でお金を集め、そのお金で云々とした話を聞かされた。長野県の指導先企業でも、有名寺の、同様の話題で持ちきりになっていた。
遠くにいたのではわからないことも、地元に入るとその姿が見える。とくに地方で地元企業経営者が語る話は真実味がある。聞いた話を書くことは出来ない。しかし、私が教団を眉に唾して聞く存在として見るようになったのは、こうしたいくつか見聞きした経験が私の中に刷り込まれているからである。
私は京都で暮らした当時、南禅寺管長の柴山全慶老師と出会った。短い時間であったが禅話を聞くことができた。それから私は二度、老師と会うことができた。43年前のことだからできたことでもあった。老師は笑顔で私を迎え、小さな禅話をしてくれた。
「狗子に還って仏性あるや、なしや」若い坊さんが犬でも死んだら、仏になれるのかという問いを師にしたそうだ。師は「無」と答えたそうだよ。無とは有無の無ではない。まだお前はそんなものに捕まって動けないでいるのかという意味なのだよ。
「塵を払って仏を見るとき如何」俗念を払ってみたとき仏とは何かという質問を若い僧がした。師はなんと答えたと思う。仏もまた塵。
私は上智大学に隣接して建てられている聖イグナチオ教会にいる、あるブラザーを友人に持っている。私はスペイン人のブラザーをよく訪ねる。
彼はニコニコ笑って、「ハットリ、キタカ」といい、A4のプラスティックケースに入った幾枚ものイラストを使い、たどたどしい日本語で私に、神と悪魔の話を説くのであった。彼らは命令一つでどこの国でも普及活動に向かい、所有物は身の回りのものだけと言った。死んだら教会の地下にある墓地に入ると言った。なんとシンプルな生き方であろうかと畏敬の念を抱いて私はブラザーと接している。
柴山全慶氏もほぼ同様であった。老師は若い青年のために、時間を使って一時一処にこの世のすべてを託す、禅の生き方を説いた。
老師は南禅寺に咲いている椿の花を指差し、蕾と、満開の花と、落下したばかりの花と、地に落ちて雨に濡れ、腐りかけている椿の花は、どう違うかと私に問うた。若い私に答える術はなかった。
老師は黙って玄関に私を連れて行った。そこには老師の筆で書いた詩が額装され、壁に掛けられてあった。見慣れている詩であったが、そのときはまったく違った。
花は語らず 柴山全慶
花は黙って咲き
黙って散って行く
そうしてふたたび枝に帰らない
けれども
その一時一処に
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり
一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔いなくそこに輝いている
私は蕾も、満開の花も、落下した花も、地に落ちて色が変わり腐りかけている花も、一時一処に、この世のすべてを託して生きていることを老師から学んだ。
私は老師から頂戴した、「禅心禅話」、「越後獅子禅話」の著書を、大切にして持っている。
この前訪れた京都の有名寺院は、大量に観光客を引き入れるために、観光バスや乗用車が何台でも駐車できるように、用地を確保し、広げ、観光客をどう捌いて生産性を上げるかに苦心しているようであった。
寺院が用意したガイドは、この仏様は人々のあらゆる苦しみや悩みを解決するために、手が千本もあるのだと説明をしていた。仏前には国宝と大きな看板が立てられ、それより大きな文字で撮影禁止と書いたポスターが大きな柱のあちこちに貼られていた。
この仏様は国宝です。国の宝物なのです。ガイドは力をこめて国宝であることを強調していた。死後の世界が分からなかった時代には説得力があった話は、生死が解明された現代では説得力はなかった。
私はいつもの癖で白昼夢を見た。
私はガイドに問う。「それほど仏力がある仏さんなら、イージス艦に衝突されて海に消えた親子の漁師を助けて欲しい」ガイドは答える『そんなこと、できまへん』
「お宅の偉い坊さんに拝んでもろうて、その仏はんを海に投げたらできるとちがいますの?」
『国宝を海に投げこむなんてできません』
「木を削ったものと、人の命とどっちが国の宝?」
いまの京都はこのままでよいのだろうかとも思う。京都文化は日本国民の宝である。この文化をいかに新しい世代に伝えるかを定義し直さないと、いま京都文化のベクトルはあらぬ方向を向いているようにも思う。
一方で私は、京都の料理文化をたんのうしている。時折、大阪の帰りに錦市場で買い物をして帰る。京都で昼食や夕食を取る時は、こだわって店を選ぶ。百貨店で京都展が開催されると「いずう」の鯖寿司を必ず買う。漬物は[打田]と決めている。
料理は正直である。京都は京料理を満喫した方がよほど楽しいと、京都を訪問するたびに、そう思うのである。