私は沖縄三越に毎月20ヶ月間通った。コンサルティングの仕事であった。沖縄三越は三越とは別会社である。昔は大城百貨店と言った。大城家はグランドキャッスルホテルなども経営していた沖縄の実業家であった。グランドキャッスルの名前も和訳すれば大城になる。
その後、三越の資本参加もあり、看板を沖縄三越と変えた。いまはたくさんの地元企業が出資し社長以下幾人かの役員は三越から派遣されて経営に当たっている。我が社は三越労組の依頼もあって顧客戦略の導入コンサルティングに入った。
沖縄三越は国際通りに面している。国際通りは奇跡の1マイルと称された通りである。
艦砲射撃を受けて、まったくの焼け野原になった那覇市に人が商品を持って集まり小さな市が生まれた。ここから沖縄は復興していった。復興することが奇跡と思えた。
沖縄三越は郷土のシンボルともいえる百貨店である。国際通りから三越がなくなったら、ただの通りになってしまう。こうした地元の支援に支えられて沖縄三越は存在している。我が社は、売場改革の仕事から始まった。ここで私はワイン売場の西表(いりおもて)さんと出会った。
彼はソムリエの資格を持ち、調理師の資格をも持っていた。私は彼にワイン売場の売り上げの伸ばし方を指導した。彼は忠実に実行した。それから3ヶ月ほど経つとワイン売場の売り上げは前年対比140%も伸びた。その伸びは継続した。西表さんと私は一気に親しくなった。
このプロジェクトは1年の予定であったがさらに半年延びた。初めがあれば終わりもある。いよいよプロジェクトの仕上げが近づいていた。
最終日の仕事が終わって、打ち上げ会だけが残った。会は閉店後の8時30分からであった。私達は会議室で静かに時を過ごしていた。
その時であった。西表さんから挨拶にいきたいと電話が入った。彼は毎月会っていたので会えなくなるのが寂しいですと精一杯に言った。それから、いま少し時間が取れますかと私を誘った。沖縄には夜に咲いて朝には散ってしまう花があります。その花が三越の裏手に咲いていますので案内したいのですと彼は歩きながら外へ連れ出す訳をすまなそうに説明した。そして西表さんは私を一本の木に案内した。そこには夜に咲く花が咲いていた。二人はしばし薄いピンクの花を見つめた。彼は別れの時に、地に根を張った美しく咲く花を私に贈ってくれた。枯れてしまう花屋の花ではなかった。いつまでも咲き続ける花であった。
人はどう別れるか。別れ方で別れは美しくも醜くもなる。彼はつつましく奥深い沖縄の心を贈ってくれた。もっと言えば私はこんなにも美しい別れの仕方を教えてもらった。
西表さんから花を贈られた夜、打ち上げ会が終わってから、私はホテルロビーにあるインターネットでこの花を調べた。花が受粉するためには昆虫の手助けを必要とする。そこで、競争が多い昼には閉じて、他の花が寝静まった夜に開店し多くの昆虫を集める夜型営業をしている花であることが分かった。花は目立つように白く、虫をおびき寄せる強い香りを放つと書いてあった。
夜に咲き朝には散ってしまう花は、薄幸でひっそりと生きている感じもして、別れに添える話題としてはなんともふさわしいと思ったが、思いのほかたくましく生きている花と知って安心した。
西表さんはその後マネージャーに昇進して食品売場全体の責任者になっている。けれでも彼に教えたワインのニュースレターはいまでも毎月沖縄から届く。
先日、羽田空港で偶然、当時の沖縄三越社長と出会った。「服部さん、沖縄三越の経営は見事に復活しましたよ。これから攻めの営業に転じますよ」と笑顔で語った。
今日、私の手元に沖縄三越のワイン売場からニュースが届いた。届くたびに私は西表さんの、さわると壊れてしまうようなナイーブな笑顔を思い出す。