奄美大島に添うようにして東には喜界島がある。奄美大島の島民は東の海を太平洋といい、西の海を東シナ海と呼ぶ。喜界島の島民も同じだ。西を東シナ海と言い、東を太平洋と言う。それでは奄美大島の東で太平洋と呼んでいる海と、喜界島の西で東シナ海と呼んでいるまったく同じ海は、正式にはなんと呼んだらよいのか。島の人に聴いても分からない。海の名称は地球儀を見てつけたのであろう。
写真の海は奄美大島の西の海だから間違いなく東シナ海の海である。
台風2号の影響で波は高く、荒れた海であるが普段は静かなさんご礁の海である。
青海亀と赤海亀が産卵に来る浜はどこまでも美しい。この小亀は砂浜の卵を保育器で育てたそうだ。やがて大海原に帰っていく亀である。驚くことにキャベツを食べていた。海にはキャベツはないものを、海に戻ったら何を食べるのであろうか。
私はこの海で海底から山の頂きまで一つにつながっていることを学んだ。砂浜はさんご礁でできていて、したがって海の一部であり、同時に陸の一部である。
この砂浜には砂をがっちりと食い込んで生えるアダンのような木があって、砂浜を守っている。
雨が降ると土砂を持った雨水は平均に砂浜に分散する。すると砂浜はフイルター効果を発揮して土砂をろ過して清い雨水だけは海に流れるようになる。
一方、風が強い時に押し寄せる荒波を砂浜はショックアブゾーバーのように受け止め陸地の侵食を防いでいる。自然の妙である。
海底から山の頂きまで連鎖していることを忘れると人間は自然からしっぺ返しを受ける。
連鎖を断ち切ったのが防波堤であり、防潮堤である。しかし海へ雨水を流そうとするから何箇所か陸から海へ流れる個所を作る。雨水も生活廃水もそこから海へ流そうとする。トタンに砂浜は壊れフイルター効果もショックアブゾーバー効果も失う。写真は壊れかかっている砂浜を写したものである。
すると栄養価が高い生活廃水が海に流れ、海は汚れ、やがてあってはならない藻が繁殖し、赤潮が発生する。こうして連鎖を断ち切ることで生物体系の連鎖も壊れる。
奄美大島はこれほどの豊かな海に囲まれている。海人は自然に感謝し、自分が必要な分だけを採取して食べる文化をもっている。
昔、奄美大島にはたくさんの水田があった。雨の多い島なので、この水田が保水力を発揮して雨水を海に流すことを押さえた。いま、その水田がなくなった。そのために降った雨水は、土砂を巻き込んで急峻な山を一気に海に流れるようになった。
海には防潮堤があって、水は堤防の切れ目を目指す。
農協の悪しき指導で、さとうきびはアルカリの土壌が必要とたくさんの石灰をさとうきび農家に売り込んでいる。なんとさとうきび畑には石灰の岩盤ができている。これが根を深くさせない。だから台風でさとうきびは倒れる。この石灰が雨水と一緒に海に流れる。
誰か、知恵者がいれば自然と共生する別のアイディアが生まれたことであろうに、深い森と同じように青い海も、また人の手にかかって病んでいるのである。
国も県も、行政は奄美の未来を考えていない。奄振とよばれる特別な予算が組まれているが、そのお金は道路と箱物を作って消化されている。全国共通のパターンに組み込まれてしまっている。
奄美は、世界で奄美しか持っていない宝物がたくさんある。
世界で奄美大島しか棲まない生きものたち、絶品な黒糖焼酎、自虐的なほどに身体を痛めて出来上がる先染めの絹織物、祖先や先輩を大切にする文化、清らかな海、深い森、そして世界で奄美大島、喜界島、加計呂麻島、与路島、請島、徳之島にしかない奄美のシマ唄。
奄美固有の希少な自然と文化をなぜ世界に発信しないのか。道路と箱物を作ってあげたから、あとは自立しろという国の政策で、この世界に誇るべき自然と文化を封じ込めている。
私達は奄美空港を、夜の7時発で帰京することになっている。
たくさんの友人が集まってコーラルパームスで夕食会を開いた。
中村瑞希ちゃんもお母さんと駆けつけてくれた。瑞希ちゃんはNHKの民謡日本一に輝き、翌年行なわれたNHK日本民謡グランプリに輝いた日本一の唄者である。
私達は瑞希ちゃんの日本一の唄声に酔いしれた。
時間が足りなかった。
時間はすでに6時を回っていた。
それでも私達は,恋人との別れを惜しむようにしてぎりぎりまで瑞希ちゃんが唄うシマ唄を聴き入った。それから走って飛行機へ飛び乗った。みなが空港まで見送りに来てくれた。瑞希ちゃんもお母さんも一緒であった。
上昇する機内から西をみるとまた、空港の近くにある泰家は照明をこうこうとつけて私達を見送ってくれた。
東京から奄美に観光する人たちは一泊二日でこれだけ楽しめる。奄美の人が一日一本しかない直行便を利用すると、一泊2日の旅はできない。夜の7時に奄美を発ち、9時に羽田へ到着する。翌朝8時15分に羽田を発つ。これではなにもできない。
不条理と思いつつ、いつのまにか私は眠ってしまった。最終着陸態勢に入るので倒したイスを元に直してくれと言われて目が醒めた。
家へ着いてから、まるで欧州やアメリカへ二週間も旅行して帰国したような錯覚になった。
溜まっている新聞は昨日と今日の分だけであった。メールも同様であった。未読のメールが山ほど溜まっていると思ったが、これも錯覚であった。週末で仕事のメールは一本も届いていなかった。浦島太郎は玉手箱を開けて一気に老人になるが、私も一気に老人になってはいないかと鏡を見た。髪は真っ白になってはいなかったが、頭の中に真っ白な空白ができていた。癒された成果であった。