バシャ山村が経営する民族村の旧安田邸で、私達は会食をした。なんとうつくしい建物だろう。奥社長。旧安田邸は奄美の宝物ですから大事になさってください。(写真をクリックしてください)
穀物倉庫。これを高倉という。穀物を仕舞ったらねずみが昇れないようにはしごを外す。ねずみを追いかけてくるハブを防ぐようにもなっている。(写真をクリックしてください)
奄美の木々はかくのごとく美しい。(写真をクリックしてください)
西郷隆盛は、若きころ、奄美大島へ蟄居させられる。島妻が龍家の一族であった佐栄志の娘、とまである。とまは愛加那と名前を変える。加那とは女性の恋人を指す。西郷との間に菊次郎、菊子が生まれる話は有名だ。私達が知る知識はここまでだが、西郷とともに暮らした家からすぐそばの龍一族の墓所に、龍愛子之墓と記した墓碑がある。ここに愛加那が永眠している。私はこの墓碑は、愛加那の哀れを知って龍家の誰かが建立したとしか思えない。
愛加那 ~浜昼顔のごとく~を、奄美の知人、町ゆかりさん等が脚本を書いて大勢の手で映画にした。その上映会が5月24日に名瀬であるので、見に行こうと決めたが、その日は恩師の法事であった。私はぜひとも見たいと町さんに手紙を出した。DVDはあるのだが現時点では販売はしないとなっているらしい。大勢の人で作ったので自分だけの判断で決められないと町さんはすまなそうにいった。
ブーゲンビリアの花弁は、花のように咲き乱れる。
そして亜熱帯の深い森と、亜熱帯の清い海と、人情が奄美のすべてである。
今日も、宇宿小学校のシンボルツリーにはアカショウビンが子供を育てながらピリョリョ-と鳴いているに違いない。