奄美大島は深い深い森をたくさん持っている。なかでも金作原は原始の森と言われている。
原始の森とは、人間の手が入っていない森のことである。戦争中、食料難の時期でも人手が入らなかった森、私達は原生林「金作原」を訪ねたが、金作原に到達するかなり前から、あたりは深い森の中であった。イメージをしていただきたい。深い森を抜けて深い深い森に入ることを。金作原は手つかずに守られていくだろうが、奄美の森は危機にある。
奄美の森を開発から守ったのはハブであったとするのは、もはや過去形である。森の守り神であったハブは、森における自然生態系の頂点に君臨する。奄美の森に棲む生き物はすべてハブと共生をしている。いま奄美の森が危機なのは、沖縄と同じく外来種であるマングース、そしていつもの通り、人間なのである。
沖縄にハブ対策としてマングースを山野に放つ古いニュース映画をTVで見たことがある。東大の生物学者渡瀬庄三郎氏は、訪問したインドでマングースとコブラが闘い、マングースがコブラの頭を噛み殺す見世物を見て、これだと閃いた。そのアイディアが持ち込まれ、島民の期待とともにマングースは1910年に沖縄に放たれ、やがて1979年に期待を以って奄美大島に放たれたと聞く。その結果はご承知の通りである。
古いニュース映画では、拍手をしてマングースを野に放つシーンが印象的であった。
さとうきび畑で農作業をする農家にとってねずみを追いかけてさとうきび畑に棲むハブは最大の難敵であった。日中の日差しを避けて朝夕の作業時間は、ハブの活動時間と合致した。多くの人が手先と足を噛まれた。血清がない時代のハブによる被害は小林照幸氏の「毒蛇」で詳細が語られているが悲惨そのものであった。
マングースの放逐が誤った一つは両者の活動時間が異なることであった。ハブは夜行性でマングースは昼行性である。これではハブとマングースは出会わない。二つはマングースのえさとなる動物が森にはたくさんいたことであった。マングースは天敵がいない森で繁殖を続けた。沖縄のヤンバルクイナが絶滅寸前であることも、奄美の黒ウサギが絶滅危惧生物になっていることもマングースとは無縁ではない。
私達が金作原を歩いている途中に一台のジープが林道を抜き去って行った。奄美マングースバスターのクルマであった。マングースバスターとは環境省の肝いりでできた組織である。わなを森に仕掛け、木に赤い印をつける。
一時期、マングースはずいぶんとわなにかかったが、いまはなかなかわなに掛からなくなった。一定数だけ減るとそこから先がなかなかむずかしいという。
そして二つ目こそが問題である。
島人は森を壊したりしないはずである。けれども島を利用しようとする企業がある。鹿児島にある某企業は、なんと島の1割ほどの山野を買い占めている。その会社は自社土地に生えている木だから何をやろうと自分の勝手とばかり、重機を入れて森を禿山にしている。木をチップにするためだ。
同社のHPをみると環境との調和を謳いあげているが、やっていることは環境破壊である。
私達はこの旅で、たま あまみさんと友達になった。二枚の伐採写真はたまさんから借りたものである。むろん国有林である金作原の風景ではない。たまさんは、ブログ「かみさまの住む島」を立ち上げて森林伐採を問題視している。この伐採現場で世界中で奄美しかいないきつつき「オーストンオオアカゲラ」が鳴いていたと語っている。
開発業者は森を守って飯が食えるのかという。そうやって世界の国土から森が消えてきた。その集大成としての成果が二酸化炭素による地球温暖化ではなかったか。
人はだれでも豊かになりたいと思う。電気が入って、水道があって、水洗トイレがあって、エネルギーが豊かにあって、TVを見て、冷暖房のある部屋で、洗濯機も冷蔵庫もあって、文明を謳歌したいと願う。そこはよくわかる。それとだから森は不要であることとは別である。
私もたまさんに倣って、奄美の森を禿山にしてチップを作らなければ、人類は、あなたの企業は生きられないのかと問いたい。
同じく奄美の宇検村でも村が企業誘致のため、村林を切って建物を建てて良いということになっている。
私はかつてカンボジア大使館に小学校を作るためのわずかな寄付金を持参したことがある。
そのときに貰った資料には、「カンボジアの国民は無知であった。無知がこのような惨状を巻き起こした。だからこれからカンボジャは教育作りから始めなければいけない」と記されてあった。
そうなのだ。無知が一番怖いのである。
宇検村は美しい入り江と、たんかんが生る深い森を持った村であるが、町村合併からも洩れ、村の財政は逼迫している。だから企業を誘致しようと考えた。森を生かす事業、例えばエコツーリズムなどを考えたほうがより未来志向であるのだが、彼らは企業誘致しか他に智恵はない。
金作原からスタートする道はどこへつながっているのか。この道に立っている奄美大島の人は、どこを目指そうとしているのか。東京を目指そうとしているのか、沖縄を目指そうとしているのか。どこの豊かさを目指そうとしているのか。
奄美の人は自分が世界で一番豊かな土地に生きていることを知らない。
金作原は林道でのスナップ写真からは計り知れない広大な面積を持つ、息を呑むほどに深遠な森である。私達はこの森を深く知るには時間があまりにも足りない。しかしこの森が豊かな川を作り、豊かな海を作り、生き物を育んでる。人間もその中に組み込まれていることだけは知っている。知っていてどうしようもできない自分がこの林道にポツンといる。
太古からの森は私達のざわめきを知って鳥も鳴かず、閑かであった。