青草窠はせいそうかと読む。天現寺に最近出来た和食店である。
青草窠の屋号は魯山人が書いた看板を店主が入手するにいたり、書いてあった三文字をそのまま屋号にした。それが青草窠である。女性向け高級雑誌に紹介されてから、女性客が多いようだ。
建物はいまどきの若い建築家が競うようにデザインしている白尽くめである。
青草窠の夕食は白湯から始まる。有田の薄い青磁に熱くなくぬるくない一杯の白湯が出てくる。これで口の中の味覚をゼロに戻す。
初めはくちこ。くちこは海鼠子と書く。なまこの卵巣と精巣をていねいに三味線のばちのように伸ばして乾燥させたものである。くちこは味がピンキリであるが、ここの楽焼に盛って出されたくちこは絶品であった。それに杉の箸は水で湿らせてある。どっしり感がでて、乾いた杉箸より、はるかに持ちよい。
次はからすみ。きわめて上質のものであって、うまさが並みのものとは違う。これは実に美味であった。
ヌル燗の徳利は金城次郎の作。私はむかし、沖縄へ行くたびに次郎さんの雑器をたくさん買い込んで沖縄土産として知人に配っていたものだ。当時、湯飲み茶碗が500円、写真の徳利で2000円程度であった。ある日金城次郎が人間国宝になった。とたんに値段が上がりだして、500円だった湯飲み茶碗がいまや八万円くらい。もっとするかもしれない。次郎さんも舞い上がって抹茶茶碗などを作り出して、まさに噴飯モノであった。魚や海老を好んで彫るが、この文様は沖縄古来から続いているもので創造的なものは何一つない。私は金城次郎さんは安い価格で雑器を作って生涯を終えてもらいたかった。息子や娘の金城一門は、読谷村にあるやちむんの里で、次郎さんとどこが違うのか分からないようなそっくりの器を作って、比べ物のならない本来の雑器価格で販売している。私は金城次郎の雑器が作品の価値を超えて高価なことに手厳しい。
蜜柑の皮をこれほど上手に使った料理は知らない。うにの濃密なしかし平たい味を蜜柑の皮が奥深いものに変えている。
からすみと長芋をはさんだもの。料理が流れるようにでてくるがよどみがない。分かりやすく言うとすしを食べるようで、一皿ずつで味が完結している。
あわびの肉を肝でからめたもの。肝はもちろん延ばしてソースになっている。
ぐじの頭を塩焼きにしてお湯をかけたもの。このスープは旨かった。肉をほぐして湯につけてしまう。
このお茶漬けはうまい。とにかく旨い。
この和菓子も料理長がつくる。
お茶が飲みたいと思ったらでてきた。
これはフルーツ。写真ではよく分からないが上はイチゴを使ったもの。
最後にまた水がでて、口を清めてお終い。神事のような食事であった。
料理は写真以外にも刺身が二皿、煮物が一鉢あった。この看板が魯山人になる青草窠である。今宵のお相手は11歳年上の有名な美術商である。私は彼がブレゲのトールビヨンを腕にしているのを見て、ブレゲであることが静かでよいとほめた。その言葉に彼は喜び、料理の話になって意気投合した。「服部さん。ぜひあなたをお連れしたい場所がある」となって今日を迎えた。私は親しい友人と年末のこのひと時を過ごそうと約束していたので、友人を一緒に連れて伺うと告げた。そうしてこの会食が実現したわけである。
今度は私にワインを教えてくれと彼は言った。最近食べる遊びを覚えたらしいことが彼の言動で計り知れた。
指導料はいらないがワインを学ぼうとするなら、お持ちの腕時計分くらいは授業料として用意くださいと言ったら、彼はお安い御用だと快諾した。藤村俊二さんの店オヒョイズには、よいワインが置いてあるからこの店を紹介して差し上げようと言った。
歳の暮れにふさわしい「今宵一食」であった。