ここは文京区播磨坂である。桜並木が美しい坂だ。いつの年からか冬になるとイルミネーションが葉が落ちた桜の木に点灯するようになった。
年に一回、学生時代の仲間が集う。サラリーマンであった人たちは皆、会社定年後の年金生活をしている。順番に近況報告をするのだが、体の故障と、やることがない毎日の退屈さ、そして会話のない老夫婦と、孫自慢と、話はどいつもこいつも決まっている。すべてが許せる仲間たちで、いたわりと慈悲に溢れた関係だから、みなまじめに話を聴いて相槌をうっているわけだ。どこが悪かったのかと質問でもしようものなら、そこから話は無限なほどに広がるので、だれもわかっていてもう誰も質問はしない。
さて私はどれもが避けたい話題ばかりだ。体の故障は人一倍だが、そんな話をする気にはならない。それにやることはないなどうらやましい限りで、私は残る人生を一日一生の思いで生きている。だから今日も天皇誕生日というのに朝から夜の9時過ぎまで事務所で、資料をパーポで作成していたくらいだ。そんなわけで家内と話す時間は足りないが、それは昔からそうなのだ。だからたまの休日になると家内の相手で一日中相槌を打っている。それによその孫の自慢話ほど退屈な時間はない。そもそも私は孫などといわない。娘夫婦のこどもと言っている。それを孫というのだよと言われてしまえばその通りだが、私にとっては娘のこどもなのである。
前に私はまじめに近況を報告したことがあった。本を何冊出版したとか、詳しくは覚えていないが、話し終わると座がしらけていた。そのうち口の悪い友人が枯れ木に花が咲いたようなもんだときた。それから私は「十九の春」という唄が好きになった。もともとは朝崎郁恵さんのお父さんが作詞作曲した奄美沖で沈没した嘉義丸の悲歌であるが、それがいつの間にか十九の春に替わってしまった。十九の春は掛け合い唄で、女性がいまさら離縁というならあなたと出逢った十九歳に戻しておくれという。男性は枯れ木に花が咲くのなら元の十九歳に戻してあげようと応える奄美の唄である。
また、件の忘年会で近況報告をすることになった。体のどこが悪いといえば気が済むのだろうが、そんな話はしたくないから身近に起きた話をした。
「仕事先の美しい女性から最高級のオーデコロンをいただきましてね。それを家内に言ったら、まじめな顔をして、それでなんてお礼を言ったのと聴くから、ありがとう。うれしいですねと言ったよと答えたら、家内は笑い出して、恥ずかしいわね。ああいやだ。あなた加齢臭があるのよ」。
笑いをとるために、多少は事実と変えてこんな話をしたのだが、また口の悪い友人が、「例え加齢臭だとしても、そのにおいを消しなさいとオーデコロンをプレゼントする女性がいるなんてけしからん」といい、またぞろ、枯れ木に花の話となった。
私と同じ歳の友人はもはや枯れ木になったつもりでいるらしい。思わず百歳を超えてから枯れ木と言えと思ったが言わなかった。決して言ってはならないセリフであった。
60歳代なんて心持一つで青年のように生きられるのに、日本のサラリーマン社会は実におかしなことになっている。アメリカではリタイヤした老人はリタイヤ倶楽部に入って人生を謳歌するのに、ここに集まった、学生時代からのいとおしい友人たちは定年と同時に人生をやめてしまっている。
私は私を必要とする人のために生きたいと強く思っている。私しかやれないことをやるために生きようと強く思っている。そんな私に年齢など関係はない。来年の計画書は今年の3倍くらい仕事をやることになる。「駆けぬける歓び」はBMWのキャッチフレーズだが、私はこの言葉をクライアント先でもあるBMWからいただいて自分自身に掲げている。
アクセルを踏めば誰でも駆けぬける歓びを体感できる。この写真くらい明るく輝き続けましょう。人生は一回限りなのだから。