今日は画家有元利夫の命日に当たる。彼を育てた弥生画廊が所有する小川美術館で有元利夫展を3月7日まで開催するから興味ある方は、ご覧になることをお薦めする、私も知友の建築家から誘いを受けてお供をすることになっている。
有元は1946年生まれであるから私より3歳若い。東京芸術大学を卒業しデザイナーとして一時期電通に勤務したが退職して画業に専念した。彼の古典的な様式美を備えた絵は圧倒的に人気を博したが惜しいかな、これから熟成する時期1985年に肝臓ガンで亡くなった。38歳であった。私がコンサルティング業を開業した年のことである。有元の絵画はとても高価で外国の超高級車を1台買うくらいの覚悟でないと入手できない。また入手しようにもコレクターは有元の絵画を離さない。これが伝説となった画家の人気というものだ。
私は安徳 瑛(あんとく あきら)画伯の絵を好んでいる。安徳は1940年生まれ。私より3歳年長である。安徳は上海で生まれ、4歳の時に帰国し、熊本で育った。有元より早く東京芸術大学に入学し、伊藤廉教室で学んだ。卒業時には油彩科で一番の学生に贈られる大橋賞を受賞している。
有元が西洋の古典と東洋の古典を融合させていきなり有元様式を生み出したのに比べ、安徳は生涯に6回ほど様式を変えて進化をしているところが大きな違いだ。安徳の絵は造形を追及し隅々まで緊張感に溢れた絵画を構成している。左は私がはじめて安徳瑛の絵画と出会った油彩画である。この油彩画を私はオークションで見つけた。私は心底からこの絵画を欲しいと思い、競り落とした。
それから私はおりあるごとに安徳の絵を探した。ベートーベンが「エリーゼのために」のようなほっとする小品があるように、安徳にも小品があることがわかった。安徳の小品は子どものような純真さで,見る人の心を癒す。風の音に少女が耳をふさいでいる。風がやんだ瞬間にまだ少女は耳をふさいだままだ。右の作品は 「風がやんだ日」ミックスメディア 安徳 瑛
少女は風がやんだことを知って耳を覆った手を開いて、かがんだ膝を伸ばし、この村を笑顔で走り出すだろう。
当時、私には次女に長女が生まれていて、この子はこの絵のような子であった。私はこの子に引き渡そうと考えてこの絵を入手したが、果たして絵を理解できるように育つかは定かではない。絵を理解できない者に手渡しても絵は滅んでしまう。空間芸術は絵を理解する者に引き渡さなければいけない。引き渡された者はまた絵を理解する人に引き渡さなければならない。そうすれば空間芸術は時間を超えて存在できる。孫娘にこの絵を引き継がせるには、この子の前で私はこの絵の素晴らしさを語らなければならない。幾度も語らなければならない。孫娘と学習関係を築かなければならない。それでも理解できなければこの絵は別の所有者を探すことになる。それが画家に対する尊厳である。
それから私の手元にある安徳の絵画は数えて6点になった。25号の大きな絵は事務所の玄関を飾っている。その安徳瑛は有元が夭折した11年後の1996年2月1日に肺がんで逝去した。2人の巨星はともに2月に別れを告げたのである。
「卓の夏」油彩8号 安徳瑛
死んだ者と生きている者の違いは、将来があるかどうかだけの違いだ。生きていれば人は明日を設計できる。生きていれば画家は新しい絵を描くことができる。死んだ画家は明日、新しい絵を描くことはできない。両者はその違いだけである。
同じ世代を生きた安徳や有元の作品を見るたびに、私はまだ生きているのだから、物故となった2人の画家が生きている間中、持ち続けていた想いを代弁し、明日を作り出さなければならないと思う。生きているだけでも価値があることはよく分かるが、それは消極的な生き方にすぎない。緊張感を持って自分がこれまで生きてきた分野で培った私しかできない様式で、白いキャンバスに思い切りの絵を描こうと思う。