週末に強い風が吹いた。その風で我が家の杏(あんず)の樹が倒れた。30余年前に安行の植木屋で1メートルくらいの苗木を買い求めて植えた、子どもが生まれた記念樹であった。この杏は東京の地に根付いて育った。毎年春は桜と見間違う花をつけて、6月にはびっしりと杏色の実をたわわにつけた。子ども達は杏を好んで食べた。東京にいて庭に成った杏を食べられるなんて贅沢なこと・・・と、毎年今ごろになると、母は杏を口癖にしていた。
我が家の30余年にわたる歴史を一緒に過ごした樹は、一緒に暮らした人の心にも30余年間の記憶を刻んでいる。嫁いだ二人の娘は子供を連れて駆けつけ、家内を交えて杏にまつわる思い出話を語った。家内はすぐに庭師に連絡をとった。庭師は葉を全部切り落として支えるようにして立ち上げたが、生き返るはずはなかった。
庭師の親方が、「一つだけ実をつけておりました」といって一個の色づいた杏を差し出した。2年前からこの杏は実をつけることを止めていた。もうそれだけの力が樹には備わっていなかったのである。「杏は今年が最後だとわかっていて渾身の力で一つだけ実をつけたのかしら」と長女が呟いた。「杏の樹は子孫を残したくてこのタネを植えて欲しかったのじゃないの」次女がそういった。「そうかも知れないね。植えてあげようよ」家内が相づちをうった。
娘の子供たちが杏を食べたいといった。一個の杏はそこにいる人数分だけ等分に切られて、それぞれの口に入った。30余年間のそれぞれの思い出が大人たちの口の中で広がった。
庭師は樹を切る道具を持っていないと言って帰った。杏の樹は倒れたまま葉は毟り取られてその身を横たえている。