厚生年金会館はびっしりの超満員であった。客席はみなが立ち上がり思い切り、力一杯の拍手を送った。沖縄県勝連の中学・高校生が演じるミュージカル「肝高の阿麻和利」が新宿で開催されたのである。 役者、男性アンサンブル、女性アンサンブル、バンドすべてが中学生と高校生で演じられている。このミュージカルにはまっている東儀秀樹も出演して花を添えている。
沖縄の心友から8月19日は空けて置いてくださいと連絡が入った。 心友とは語らなくても通じ合える友という意味である。 なぜそうなるかといえば、彼が私よりはるかに大人であるから実現できた関係で私一人が心友と言っているに過ぎない。 彼もまたこのミュージカルに、はまっている追っかけの一人である。 しかし彼の目は沖縄の父が沖縄の子供たちをいつくしむ目をして子供たちの成長を見守っているようだ。それはきっと父譲りであるのだろう。 彼の父は戦後の沖縄を復興させた人である。艦砲射撃で土地の形状が変わったといわれるほど打撃を受けた沖縄は戦後、米軍の統治に入っても産業はなく、生きていくことは並大抵なことではなかった。
そこで彼の父は沖縄県民の移民を後押しした。ハワイへの移民、ブラジルへの移民。彼は最近、移民周年行事でブラジルに行った。ここで父の偉業をしみじみと知った。 父の一生は広辞苑より厚い本になって残されているのだから。このブログで全部を紹介することなどはできない。 うこんも彼の父が農民に勧めたものであった。 石垣島の黒真珠養殖も、全土のかんきつ類農業も、・・・・・焦土と化した沖縄の復興に、彼の父は全身全霊を捧げる。
その父はインドシナ独立戦争の立役者である。日本が敗戦し、日本が占領した国に占領国がかつての植民地に戻そうと軍隊を送り込んだときに、彼の父は日本へ帰国せず、日本の兵器をインドシナの国に差し出して独立戦争に参加し独立を勝ち取った。帰国する折に石油基地の権利を贈呈するという申し出を、それはあなたの国の発展に使えと断った。 沖縄に石油会社がなく、すぐに作らなければならなくなった。彼の父は石油会社を作る。私欲はなく、彼もその知を受け継いだ。血はもちろんだが、父から受け継いだのは知であった。
だから彼が沖縄の父のような気持ちで阿麻和利を演ずる子供たちに温かい目を向けていることはよく分かる。この夜もそうであった。
中学生と高校生が演じる物語は次の通りだ。
いまから約550年前、琉球王朝が全島を統一したものの第一尚家王朝の尚泰久王にとって夫人の父に当たる中城の護佐丸と勝連城の阿麻和利は目の上のこぶであった。 そこで尚家は、娘の百十踏揚姫(ももとふみあがりひめ)を阿麻和利に嫁がせるがそれでも内心は穏やかではなかった。 そこで重臣の金丸(後の第二尚家 尚円王)の策略で、護佐丸が謀反を起こしたから討ち取れと阿麻和利に指令を出す。 阿麻和利は義父の命令に従い、護佐丸を討つ。戦勝の宴が行われている夜半に尚泰久は、百十踏揚姫の付き人大城賢勇に命じて勝連城の弾薬庫に火を放ち、勝連城を攻める。 そこに護佐丸の二人の息子を連れて阿麻和利を殺害する。
ところがその後の歴史を見ると阿麻和利が謀反を起こし、護佐丸を攻め殺したので護佐丸の二人の息子が首里王とともに阿麻和利を倒し、敵を討つと記されている。 長い間、勝連町に住む人たちにとって自分たちの先祖、勝連の阿麻和利は謀反を起こした張本人と汚名を一緒に背負って生きていた。
肝高の阿麻和利は、中学生高校生による地域おこしのために実現した現代版組踊である。 子供たちは自分の故郷をよく知って自分たちがどこから来たのかを見つめればどこに向かっていけばよいかがよく分かるという。私たちの故郷の王様は謀反者ではなく、広く世界に目を向けていた優れた王様であった。このことが誇れるから子供たちは胸を張って堂々と訴えることができる。
この夜も感動は会場を支配した。全員による群舞は見事である。私はミュージカルが好きでよく観にいくが、悪いけれど比較にならないほど沖縄の子供たちのほうがはるかに感動を与える。一人ひとりの子供たちが一切手を抜かずに列の最後部にいる子までが、自分が主人公のように歌い、踊る。観客はみな泣いている。子供たちの一所懸命さに心を討たれて泣くのである。各言う私も目も心も洗われた一人であった。6年ぶりの東京公演だからまたしばらくはないだろう。沖縄へ行く機会があったら、いや、肝高の阿麻和利のホームページをチェックして、開演日に合わせた沖縄旅行を組むとよい。それほどの価値があるのだ。