8月9日。軽井沢はもう初秋であった。星野リゾートから中軽井沢にある中央公民館まで、私は裏道を探して歩いた。都会と違って田舎道は方向に見当をつけることが危険なことはよくわかっている。しかし、千が滝通りはクルマの往来が激しく路肩を歩くのが怖い。そこで私は思い切って横道に飛び込んだのである。
軽井沢は横道に入ると風景が一変する。中軽井沢は昔は中仙道の沓掛宿であった。千が滝通りは沓掛街道であった。軽井沢宿、沓掛宿、そして追分宿と宿が並んだ。沓掛宿は中軽井沢と名前を変えた。軽井沢ブランド名を使いたかったのであろう。私は古めかしい中軽井沢の駅を新装ビル化する計画の意味が、この駅に降りてよくわかった。駅も軽井沢ブランドにあやかって中軽井沢のブランド価値を高めようとする町の計画なのだ。
太平洋からの風は東京の熱を持ったまま、関東平野を北上し碓氷峠を乗り越えると、ここで冷やされて霧になる。碓氷峠に近い旧軽井沢、南が丘、南原あたりは霧に覆われる。追分から軽井沢方面をみると離山にぶつかった霧で軽井沢が覆われていることがよくわかる。遠くから見た霧は、黒雲のように見える。同じ風景をサンフランシスコの郊外から見ることができる。サンフランシスコの街は、いつも黒ずんだ雲に覆われている。光を通さないほど厚い霧に覆われるから、黒雲に見えるのである。
湿気を嫌う地元の人は中軽井沢以西に居を構えることが多い。だから中軽井沢は一般住宅が多いところ。どの家も庭には早咲きのコスモスが咲いている。晩秋に咲くコスモスは怖いほど根が太くなって老獪さを感じるが、8月のコスモスはなんとも可憐である。葉も初々しい。
なぜに夏を急ぐのか。10月には軽井沢は紅葉に覆われ、そして11月には氷の冬がやってくる。軽井沢は一年の半分は氷の世界になる。雪は少ない。しかし時に-15℃の世界が続く。ここは北海道と同列の冬である。だから植物は花を競って咲かせて、結実し、生き抜く準備を整える。
白壁を背にして紅い色のゆりが咲いていた。私は自分で選んだ横道を信じてひたすら歩いた。道は大きく曲がっている。「ログ亭」の前を通って道は、川を渡り、大きく右折をしたかと思ったら、右側は神社のようであった。やがてTの字に突き当たった。私は迷わず左折した。その道の左右にも花は咲き競っていた。
やがて、大きな建物が目に入ってきた。ここが軽井沢中央公民館であった。私は沓掛街道から横道に入ったばかりに、軽井沢の初秋と触れることができた。日本のマチュピチュ高原都市、軽井沢は星野リゾートの喧騒を知らぬかのように、ひっそりと初秋になっていた。