万座へ行った翌週末に私は再びクルマで軽井沢へ向かった。この日は日本中が好天気に恵まれていた。軽井沢も久々の快晴で気温は高く、紅葉は秋の太陽を浴びてそれはそれは光り輝いていた。こんなお天気がよい軽井沢は久しぶりだ。
私は南が丘でしいある倶楽部の鈴木美津子さんや高橋さんと会った。NHKの小さな旅で軽井沢特集が組まれ、鈴木さんの木を守る活動が全国に報道された。小さな旅の再放送を望む声がNHKに殺到し5回も再放送がされた。鈴木さんは私と学年は同じ。同級生に当たる。
開発のために次々と伐採されていく樹齢の長い名木を守っている鈴木さんは活き活きと生きている。一卵性親子と人から呼ばれていたお嬢さんを医療事故で失い、失意の中から、お嬢さんが伐採されていく木を守ろうと活動をしていたことを、自分のこれからの仕事にして行こうと決めた。人間は自分で生きる道を選択し、自分で生きていくしかない。やり続けたことによって社会から認められる。
「どうだん つつじは、都会では丸めてしまいますが、軽井沢では土と相性がよいのでしょうね。こんなに美しく大きくなるのです」。鈴木さんは傍らに紅葉しているどうだんつつじを説明してくれた。私は「今年はやまぼうしやまゆみが結実していない」と訊ねた。「今年は雨が多く日が射さずに長い夏をすごしましたから実を結ぶ機能が働かなかったのでしょう」と鈴木さんは答えてくれた。
上の写真が一週間前の大紅葉である。Autoで撮影しているのだが、曇天下では心の中まで暗くなるような色彩しか発色しない。
わずか一週間後に大もみじの紅葉は進み、あとはわずかな葉を残すだけとなった。光の加減で風景はこれだけ変わる。わずか一週間後。私はそう口に出してからわずか一週間ではないと気付いた。わずか1秒で世界は刻々と変化をする。私たちは日の単位で物事を考えるが自然は秒単位で変化する。一週間はものすごく長い時間だと思った。一週間前に戻ることができれば失う命も助かる。わずかではない。一週間とは果てしなく長い距離なのである。一週間にどれほどの生物が誕生し、どれだけの生物が死んでいくか。
木は冬を越すために葉を自ら落として休みに入る。翌年の命を得るために葉を落とす。我々の言葉で言うと創造的破壊を繰り広げている。
私は鈴木さんのお宅で山野草の説明を受けた。紫式部の実もなっていた。ここには毎日リスが来るのですよと言っていた。小鳥の水浴び場も用意されていた。一日に一回、水を完全に抜かないといけません。蚊が卵を産み付けますし、小鳥のためにも新しい水に毎日交換してくださいね。鈴木さんには自然界のことでいろいろ教わる。
それから軽井沢の知友とこどうであった。こどうの窓越しから映る森の風景は晩秋であった。このあたりの森は春の光が目に見えていい。紅葉の時期でも同じであった。私たちは牛のシチューをカレーライス風に食べるランチを食べた。いろいろな打ち合わせもあって終了は3時をはるかに過ぎた。普通ならもうランチ時間は終了しましたと追い出されるところだが、人間関係もできているからどうぞゆっくりしてくださいといわれる。話が終わってから私は離山通りを抜けて旧軽井沢へクルマを向けて小さな買い物をした。
標高1000メートルに位置する日本のマチュピチュは、日が落ちるのが早くクルマのライトは既に自動点灯していた。メイン通りには帰りグルマが長蛇の列を作っている。私は森の中の裏道を抜けて女街道に出た。途中、好きな森がある近くでクルマを止めて、森まで歩いた。まさに森閑の言葉がぴったりであった。この森も陽が射せば紅葉が美しいだろうなと思いながらマイナスイオンの空気を吸った。メイン通りは帰路を急ぐ観光客のクルマで渋滞を起こしているが私が選んだ道はがらがらであった、もうすっかり暗くなった森の道を私は走った。クルマはがらがらの荒船山道に入り高速道路インターの直前でメイン通りにでた。この日の走行は390キロ。いつも走っているからまったく苦にならない。
軽井沢に初雪が降った知らせはメールで届いた。時間は季節を変え、そして人間を変える。人間から見ると季節が動いているように見えるが、実際には人間が変化しているのだ。自然こそが人間を支配している基盤である。時間は人を変えるが時間が変えられないものもある。それは関係だ。関係こそが時空を超えて存在する。個の人間は時間と共に存在が消滅するが、存在していた関係性の事実は目で見えないだけで消滅はしない。
帰りの高速道路は渋滞も少なくよく走った。私はマイルスデビスのスペイン協奏曲を大音量で聴いた。
「紅葉が散ると軽井沢は一気に寒く長い氷の世界に入ります」。知友の言葉が私の耳に残っている。「そうだよね。僕はよい時期しか軽井沢に来ないものね。夏タイヤしか持っていないことが最大の理由ですがね」。「こんど真冬の一番寒い時期に新幹線でいらっしゃい。駅までお迎えに参ります」知友の言葉を思い出していた。