「おひょいず」の加治さんから「スコットランドに渡ってウイスキーの勉強をするので20日でやめます」と言われた。おひょいずは藤村俊二さんが凝りに凝って作ったイギリス調の本格的ワインレストランである。加治さんは私のワインの好みを熟知してくれて何も言わなくても適切なワインを選んでくれた。そして加治さんが選んでくれたワインは、いつもどんぴしゃであった。情理を尽くしてくれて信頼関係が出来上がっていた。
おひょいずは青山にあって我が家と会社の近くではないから足を運ぶことはあまりないのだが、おひょいずに行けば加治さんがいるとの安心感はいつも私の中にあった。19日に加治さんに電話をかけた。「加治さんがいるうちに会いに行こうと思っていたけれど、仕事の関係でいけない。イギリスへ出発前に一度会いましょう」。加治さんもぜひともと快諾してくれた。
加治さんがおひょいず最後の日に、私は軽井沢へ出かけた。軽井沢駅の気温は2℃であった。けれども空の様子はもう冬ではなかった。風が冷たく気温は上がらなかったが空は春の息吹がしていた。風が止むとすべてが生き返るように感じた。
浅間山の噴煙は高く上がり雲と見間違う。この日は強い北風で噴煙は南に流されている。
山はいつでもそこにある。樹も人間が倒さない限りそこにある。人は動いて栄養物を身体に取り入れる存在だからいつも動く。動くもの同士が交点を見つけるには約束をするか、そこにいることを確認できる何かが必要だ。
知友と二人で豆腐会席料理の店「松水庵」に入ってランチを食べた。この店は塩沢通りからやや西に位置している。国道18号のすぐそばだ。
旧軽井沢がすっかり寂れている。多くの別荘は廃屋のようになっていて活気はない。その代わり南が丘に中心が移り、その隣、南原にはグルメ通りができた。この周辺の料理店には都会でも十分に顧客を呼べるほどの腕を持つ店が集まっている。
この料理は出来立ての厚揚げに片栗粉でトロミを加えたものである。 ランチコースで一番安いコース、したがって量が一番少ないものを選んだがおおよそ全部で400カロリー程度であったと思う。若い知友には物足りない量である。それから私たちは別場所で打ち合わせを終えて、久しぶりにトンボの湯に向かった。
村民食堂の北面は写真のようにツララができている。トンボの湯はいつでも柔らかで身体を包み込むようですばらしい。
のんびりと湯に使っていると中で騒ぎが起こった。カメラを持っている人を二人の若者が湯の所有者である星野リゾートに突き出したのだ。女風呂を撮影したわけでなし、別に騒ぐほどのこともないだろうと思っていたが外に出るとパトカーが2台も来ていた。カメラを持っている人の両腕を後ろに回して取り押さえて勝ち誇ったような顔をして告発する若者に嫌気がさした。最近の日本人は検察や警察と一心同体になっている。
それから、私たちはプリンセス通りにあるテラス・サクマでお茶を飲んだ。もうたそがれ時に入るほどの時間である。この時間は一日で一番好きだ。私は暮れ行く外の風景を眺めながら、軽井沢を満喫した。時計を見ると5時10分であった。私は5時40分の新幹線を予約していた。
私は加治さんと別れたくないから会いに行かなかったのではないかと思った。人はなぜ別れるのか。人は時間を駆け抜ける存在だから別れが必然的にあるのだ。私が加治さんと別れたくなくても加治さんとの別れは起きる。さよならだけが人生だもの。
人は、最後には、全部の存在と別れることになる。いや、正確には自分にとっての全存在が消えてなくなるのだ。自分も、世界も、宇宙もだ。でも実際には消えないで残る。だから未練が生まれる。
私は駅の改札口正面にある待合室から西の空を眺めた。これから真っ赤な夕焼けに差し掛かるなと思った。こんな絶好のタイミングを逸する早い時間に新幹線の座席を予約していたことを悔いた。
誰そ彼〈たそかれ〉と、人の顔が識別できないほどの夜の帳(とばり)が覆い尽くすまで、この地でのんびりしていたいと思った。その思いは長い時間、尾を引いていた。