かつてオリビアハッセーがジュリエットを演じた映画「ロミオとジュリエット」を支えたのがニノ・ロータが作曲したテーマ音楽である。
私は26歳の頃、したがって今から40年ほど前の出来事だが、YAMAHA音楽教室に通っていてエレクトーンを学んでいた。確か9級であったが、ここにロミオとジュリエットがあってなんとも美しい旋律であったかを今でも鮮烈に記憶している。
この勉強が幸いして、それから40年を過ぎた今でも、家には古いピアノがあって、私は時折ピアノに向かって、演奏を楽しむことができる。こどものころから楽器に慣れ親しんでいたので、口ずさむ曲はほとんど演奏できる特技を持っている。知り合いからは仕事ばかりしていて趣味は何かあるのですかと聞かれることが多いが、私はこどものころから大学卒業まで勉強に追われない生活をしていたので趣味はたくさんあって、時間さえ許せばいつでもどこでもいつまでも、趣味の世界に没頭できるのだ。
さて、ロミオとジュリエットを私はAmで演奏をしていた。しかし、Youtubeなどで聴く演奏はなんとも物悲しく、シェイクスピアの悲劇を奏でる音楽としてお見事!と感じ入るのだが、私が弾くAmの音階は、物悲しく聞こえてこないのである。
そこで、この連休、といっても4月29日から5月5日まで連日仕事をやることになったのだが、寸時を作ってEmでロミオとジュリエットを弾いてみたのだ。AmとかEmがわからない人のために書くと〈そういう私もわかってはいないのだが〉ロミオとジュリエットの場合、Amはラドーシミー、ミソーミラーとラから曲が始まる。一方Emはミから始まる。正確にはAmはAの音で曲が終わり、EmはEの音で曲が終わる。音階を表現するのはCDEFGABCで、Cはハ、Dはニ、Eはホ、Fはヘ、Gはト、Aはイ、Bはロ、Cはもとに戻ってハ。mはマイナーの意味で短調、Mはメジャーの意味で長調を意味する。CDEFGABCを12345678、またはドレミファソラシドでも表現する。ミュージシャンがG万円などというのは5万円のことである。こんなことは音楽教室の初日に教わることで、自慢たらたら書くようなことではない。
話をロミオとジュリエットに戻すとこれまで弾いていたAmとはイ短調であって、半音キーはつかない。つまり楽譜に♯も♭もつかないのである。それでは物悲しく聞こえないのでホ短調和音を使って弾いてみたということになる。ホ短調は♯が一つ付く。
なんということだろう。ホ短調で弾いたら、あの物悲しさがズバリ表現されているではないか。私は音階の不思議に心から恐れ入ったのである。なぜ人間の脳は短調の曲に物悲しさを思い、さらには適切な調があってAmで弾いても、物悲しく感じなかったことがEmで弾いたら思い切り物悲しく、琴線と涙腺を一気に触れるような感情の高ぶりになっていくのであろう。
なぜか解明をしたいと思う。音楽の世界だけではなく、文学や映像の世界でこのようなことが起こっている、このことを解明したいと真剣に考えている。新しい事業、マジカルウエポン制作所がまさにこの部分と触れ合って顧客の心を動かしていく事業を行うからである。
連休とはいえ、顧客とのやり取りは続いている。HPの原稿も進んでいる。外車の試乗も済ませてきている。顧客とはメールでやり取りをしている。イラストレーターとの仕事のやり取りも続いている。
今日は早めに仕事を終えて吉岡正人画伯の個展を、くみるギャラリーへ見に行く予定でいる。つい最近まで寒さで震えていると思ったら、もう街の中はつつじが満開である。軽井沢は桜が満開でこぶしの花も満開だと連絡が入っている。こちらは音階の不思議ではなくリズムの不思議だ。
この連休中、永田力画伯が表紙を描いた3冊の本を落札した。それから先日出会って親しく会話をした入江杏子さんの本をオークションで入札して手に入れる。書名は『壇一雄の光と影 「恵子」からの発信』だ。民芸の女優入江杏子さんは、壇一雄の「火宅の人」でモデルとなった恵子さんである。
今は仕事漬けになっているが、仕事だけではなく遊びを必ず加える私のリズムは狂ってはいない。次のテーマは音階の不思議を見つけることだ。これは大きなテーマになりそうだ。
さあ、今日の昼休み休憩は終わりだ。これから残りの仕事を片付けて吉岡正人の絵を見に行こう。