すし匠の看板は名優本木雅弘の手になる。彼は一時期、書道家で身を立てようと考えたくらいに筆が立った。アカデミー賞を取ったおくりびとはまるで茶道のお手前をみているようであったが、この書を見ればさもあらんと納得をする。私は彼の演技にぞっこん惚れていて、似たような顔立ちの市川雷蔵を凌駕し、末は滝沢修に迫るとみている。
さて、すし匠は四谷の駅近くにあってこじんまりとした江戸前を握る名店である。私はこの店に通いだしてから約18年が経つ。当時の事務所が近くになったことをきっかけにした。高校を卒業した長女が英国に行く前に寿司が食べたいとの願いで家族で初めて行ってから、指折りかぞえると約18年になる計算だ。
親方の中沢さんは無類の勉強家である。そして原理原則に基づいた本物だけを選択する。まやかしは何一つない。魚も酒もすべて太い筋が一本通っている。すべて理で説明しその通りに美味しいから信頼関係ができる。中沢さんは日本中を食べ歩く。そして旨い魚を見つけると現地から直送してもらう。
こうして年々すしも魚も酒も旨くなって、いまや東京で江戸前を代表する名店になっている。私は他の名高い名店の味をも知っているが、素材のよさと江戸前の仕事振り、そして適切に選択された酒の組み合わせはどこよりも絶品と確信している。
そんなわけで私とは気が合って、以前私が書いた「脱・片思いマーケティング・・日経BP社・・には実名で登場した位だ。
この日は初夏の三寿司を食べた。新秋刀魚、やりイカの子供、新子である。どれも初物である。写真は新秋刀魚。よく切れる包丁で気持ちよいほどに二つに開いている。
上はのどぐろの焼き物。のどぐろは私が若い頃から好んで食べた魚である。新潟に出張すると帰路に必ず市場でこの魚を発泡スチロールの箱に詰めて持ち帰ったものだ。のどぐろは刺身でもいけるが焼いて本来の旨さを引き出すことができる。当時でも20センチくらいの、のどぐろが3000円くらいしたから昔から高級魚であった。とまあ、ここで魚の薀蓄を語りだすと切りがなくなるので止める。
すし匠のすしを食べるといつでも本物に触れた満足感に浸る。日本食文化が侵されている。日本は回転すし屋が定着しているがそれはそれでよい。問題は街中にある普通のすし屋だ。職人のプライドは高くても、すし匠のように常に顧客が何を望んでいるかを追究していないとこれから淘汰されていくだろう。コモディテイ化が進み、安い店はますます安さを競い、高級店はより顧客価値の創造に努力する。中途半端ではもはや生きられない時代である。
これからはより高度な専門性と、それによる価値の創造と、それを情理を尽くして顧客に伝えられる関係性が求められる。中沢さんはそのすべてを実現している。だからこの店はいつでも繁盛して予約もままならないほどだ。
好店三年客を変えず、好客三年店を変えずという言葉があるが、私は18年近くもすし匠を変えずにいて、思い出したようにして中沢さんに会いに、そしてすし匠のすしを食べに行く。