ヘンリーミラー夫人であったホキ徳田がヘンリーミラー没後30年を記念してピアノBAR「北回帰線」を六本木に開いたことは本人からの連絡で知っていたが忙しくて時間がとれず、訪問したのは開店してから1ヶ月も過ぎたあとであった。訪問時間が遅かったこともあって顧客がいない店内で3人のスタッフとホキが迎えてくれた。店長はホキを仕事の面で支えている佐藤君であった。
ホキと出逢ったのは23歳のとき。画家の鶴岡政男さんらに連れられて行った新橋のエキゾッカでピアノを弾いていたのがホキであった。ホキはテレビ創世記のスターであった。ハマクラさんが作ったコーラスグループ、スリーバブルスの一員でもあった。ホキはカナダの音楽学院でクラッシックを演奏するピアノ科で学んでいた音楽のプロであった。テレビ創世記に大活躍し、その後にハリウッドのオーディションを受けて合格。舞台をアメリカに移し活躍していたが、文豪ヘンリーミラーに見初められて、夫人となって約12年を暮らす。
この辺のいきさつはホキからいろいろと面白い話を聴いているので、またホキの話題になった時に本人の許しを得た上で書いてみよう。帰国したホキが麻布でピアノBARを経営しているときに再会。いまから15年ほど前のことである。以降、友人として交流をしているわけだが、私が23歳からのつきあいであるので、妙に親しい関係が続いている。馬が合うのだろうと思う。
ヘンリーミラーの代表作を店の名にした北回帰線は、思ったより広く、ピアノBARというよりクラブに近かった。ホキは私にピアノを見てあげるから何かを弾いてみてと突然に言った。私は陽水の招待状のないショーとシェルブールの雨傘の二曲を弾いた。ホキはそれだけ弾けるのだから右手のメロディをもっとしっかりと大切に弾くこと。右手のおかずは考えなくてよい。次第にできるようになる。それができれば左手はひとりでに付いてくる。それから真ん中のぺタルを上手に使うこと。とアドバイスをくれた。おかずとは主メロディーを装飾するテクニックのことである。
言われた通りに弾くと、ホキは、ほら!前より巧く聞こえるようになった!といって、今度は自分がピアノに向かって、私の演奏方法と、自分の演奏方法を比べて弾いた。さらにペタルの効果を実際に教えてくれた。
この様子を見ていた店長の佐藤君が、ホキがこんな風にピアノを教えたことは今までない。はじめてみた。と驚いた。私は顧客がほかにいなかったお陰でピアノの名手から手ほどきを受けることができた。忙中閑雅のひと時であった。