7月11日までで智恵子抄は終了した。その直前に私は思い立ったように親しくさせていただいている、さる大企業の取締役をお誘いして、最後になる智恵子抄美術展を観に行った。マチスほどに昇華された智恵子の切り絵を観るチャンスは二度と回ってこないと思っていた。
智恵子抄は私にとって青春そのものである。だから光太郎の言葉を借りるならば詩の一つひとつを「意味深く覚えていて」ということになる。それから50年が経過して、風雪は時間を晒してしまったけれど、私にとっての青春は昨日のことのように鮮やかである。それが智恵子抄の一節を読むたびに甦ってくる。
この美術館を訪れた人たちは誰もがそうである。姿かたちはとうに青春を留めてはいないけれど、心の中は永遠なる青春に立ち戻っている。美術館に出品されている光太郎の彫刻、智恵子の切り絵、智恵子抄の原稿を並べた陳列台を巡り歩むごとに、やがて顔は活き活きとして、古い出来事を懐かしみ、思い出を噛みしめていることが、眺めている私にも伝わってくる。智恵子抄が青春そのものである人の群れがここに集まっている。
こうした心のひだに残る思い出を誰もが持っている。だから人はいくつまでも美しいのである。思いをすべて叶えてしまったら、人生はむなしいに違いない。
私は美術館の人に菊池寛は分かるけれど、後ろに付く実とは何ですかと質問をした。すると菊池寛実は大実業家です。作家とは関係ございません。智とはお嬢様のお名前をとったもので、お嬢様はもう八十歳を越えています。と説明を受けた。ここにも娘の名前を美術館名に残す心のひだに残る一つの物語があった。
今日、「旅の寄り道で智恵子抄展を知り、一人で観に行きました。私は智恵子抄が大好きで智恵子の生家も行きました」。と知人からメールをいただいた。知人も智恵子抄に青春の思い出を秘めているに違いないと感じ取った。私はそのメールに応えるべく二度目に行った折に撮影した何枚かの写真を使ってこのブログを認めた。
参観者のだれもが智恵子抄にかぶせた思い出を持っている。智恵子抄美術展を観に来たのではなく、自分の心に咲いている想いの花を確かめに来たのだと、たった今、そう思った。