新規事業が市場から歓迎されている。私のスケジュール表は見る見るうちに先の先まで黒く埋まっていく。私は事業を始めた当時を思い出している。あの時もそうであった。私は毎日東京駅か羽田へ出勤していた。そこから乗る新幹線や飛行機の、到着先が仕事場であった。いまの過密スケジュールは当時と似ている。しかし、違う点は大企業に訪問し初めてお目にかかるご担当に提案することだ。いまは一回で善し悪しが決まってしまう。当然一回の出会いに集中しなければならない。
先の週末は休息日であった。土曜日は親しくさせていただいている画伯の家に出かけた。画伯が主宰する会の運営を巡って打ち合わせをすることが目的であった。しかしその打ち合わせは正味15分ほどで終わった。あとの6時間は対談であった。夕方になって画伯の運転で駅前のスーパーに行って夕食を買い揃え、二人で向かい合ってそれを食べた。
画伯は私にとって人生の師である。23歳の時に初めて出会った。私は覚えているが師は覚えているはずがない。今の時代のようにメディアが限られたいた時代に師は時代の先端にいた。常に名高い流行作家と宴に興じ私は遠くからそれを眺めていた貧しい一青年に過ぎなかった。
二十年後に再会した。私が独立したての時であった。こんどの再会は三回目に当たる。もう師と別れることはない。初めの出会いは遠くから見つめる関係であった。二度目の出会いは子弟の関係であった。三回目の再会では子弟の関係は変わらないにしても、67年間に及んだ人生が私を育ててくれたおかげで対話は弾んだ。
一人の画家に話が及んだ。たまたま師の机に合った美術書にその作家の絵が掲載されていたからである。この作家の名は私もよく知っていてオークションで幾度も追いかけたことがあったが最後に気乗りがしなくて止めた人である。
師は絵を見て、すぐに「この絵は物欲しげだ」と言った。私はこの画家について持てる知識を話した。師は私の話は聴かないで、「物欲しげな絵はその臭いが出ていてね」と言った。この絵は壁に飾るような絵ではなかった。むしろ着飾る女性の醜さを表現したものであった。けれども師は止めを刺した。「どのように表現をしても臭いが残る」。
師の寝る時間に差し掛かっていた。私はお暇をして帰路に着いた。腹に染みる休息日であった。