誰でもあるように私の心の中にもいくつかの花が咲いている。心の中に咲く花とは、いつでも気にかかって咲いている花のことである。その花は長い関係性があって咲いた花である。そしていまは関係性が切れて、心の中でしか咲かない花のことである。その大部分は人間に絡む花である。
こうした人とは何かがきっかけとなって関係性が切断されたままになっている。しかし関係切断が本望ではないのでいつまでも心の奥底からその人が離れない。私はこのままにしていてはいけないと心底から思った。そこで幾人かの人と関係性を復活した。もう何十年前に関係性ができていた人である。
私は満足したが、心に咲いていた花は関係性を復活した数だけ消滅した。関係性が切断されていた期間だけ、歳月は流れ、人を変えていた。相手も私もである。
私の心にある花は当時の関係性を土壌として咲いている花であった。季節は無常に人を変えている。自分の変わりようと、相手の変わりようを知り、心に咲く昔のままの相手と、昔のままの自分とのギャップを整理できない相手と、自分とが複雑に交差し、心の中に咲いていた花が消滅してしまうのであった。
私はこうした心の逆流を続けていくと心に咲く花が全滅すると思った。一方で関係を戻したからには責任を持ってその人と対峙して生きていこうとも思った。責任とは相手と自分の変化に対峙しながら、驕ることなく、静かに関係を維持する努力のことを言う。人間は前にしか進めないとする信条に近い私の考えは、こうした体験を経て確立されたものである。
大切な人とは関係を切断してはいけない。彼はどうしているかなと心の中の蕾が開きかかったら連絡をとって会うことが良い。それでも人は森羅万象と別れを告げなければならない。
ハマクラさんが作詞作曲した「粋な別れ」の詩はいい。命には終わりが来るのだから、その時が来たら粋な別れ方をしようという詩である。
私が行った心の逆流は結局は心の安寧を求めていたことが分かり、そう整理すると心の中の花の咲き方、花の想い方に変化が見られるようになった。