仕事に明け暮れている週末、仕事仲間のK氏からチェンミンの招待状が届いた。場所は九段会館。事務所からすぐの場所だ。気分転換によいと私は当日知友に電話を掛けて誘い、九段会館へ出かけた。
チェンミンは上海生まれの二胡演奏家だ。九頭身はあろうかと思うスレンダーな美女であるが、まるで宝塚の男役スターのようにさっぱりとした気性で、演奏も大胆かつ豪快である。もちろん日本語は堪能で見事なくらい舞台会話をこなす。
日本の二胡人口は25万人だそうである。初心者年齢に制限はなく、子供から老人まで幅広い。入り口は易しく、奥行きは深い。中国の友人R小姐が二胡を教えているのでいつか私も彼女に付いて習いたいと思っていた。
ところが九段会館の会場整理係がとんでもない○○○であった。34℃も気温が上がった午後4時、招待客は席を決めてあるチケットに交換する必要があった。招待客に対して一列で整列するように整理係は命令調で私たちを指示した。こちらに向かって一列に並んで並べという方向は西日の太陽に向かっていた。東に向かって列を作れば誰も不満を感じなかったはずだ。うだるような暑さの中で太陽に向かって整列をしろという指示に言うことを聞く招待客はいない。皆が一斉に東に向いて整列をしたのである。
すると最後部がどこだか外部からは分からないことになった。整理係はうろたえてどこが最後部か探していた。そうして皆が東に向いていることを理解した。招待客が何故東に向いているかを考えようとせずに、大声でこちらに向かって並び直せ、背中はこっちに向けろと叫んだ。
招待客は誰もが自分は招待されたと思っていただろう。だから女性は精一杯のおしゃれをしていた。その化粧も西日に当って汗だくになり、見るも無残であった。やがて入場開始時間は過ぎた。招待客は並んだまま待たされた。皆の顔には怒りが走っていた。
招待状は確かに招待であり無料であった。しかしタダ券と印刷するべきであった。私たちは二階席の最後部に押し込まれた。会場整理係は招待客には二階最後部からチケットを発券したのであった。そのうえ、九段会館は前席との間が実に狭く、決して長くない私の脚を折りたたまないと、とても座れたものではなかった。
このような話をチェンミンが聴いたら心を痛めるに違いない。チェンミンは一階席の前方に空席がたくさんありますからどうぞ前に座り直してくださいと聴衆に声を掛けた。定員1000人の会場は十分に人を包み込める余力があった。彼女は心を配ったのである。それでも誰一人動かなかったのは動こうにも椅子が狭すぎて動けなかったのである。
私たちは休憩時間に館を飛び出した。会場係がいったん外に出たら、もう中には入れませんよと私たちの背中に最後の言葉を投げつけた。私は一瞬社会主義国家に暮らしているような錯覚になった。ここにはサービスとか、顧客第一主義などの精神はかけらもない。ホールの外は九段会館の駐車場である。大ホールは駐車場から入る。中には幕間にクルマに置いてある何かを取りに出る人もいるだろう。再入場の時にはチケットの半券をお見せくださいと言えば角は立たない。
チェンミンの素晴らしい演奏技術と、名器が奏でる音色に私は心を動かしたが、その夜、藝術はこのような腹立だしい精神状態でも100%堪能できるかを考えた。そして腹立つ要因を消去法で一つひとつ消していった。最後に残ったのは、どうしても許すことができなかったのは会場整理係の愚態ではなく、すわり心地が悪い狭い椅子であった。人間は身体が拘束されたような状況では藝術を楽しむことはできない。私は両脚を揃えて右に折り曲げ、からだも右に曲げてなんとか座ったが拘束されている状態であった。このことが私がこの日学んだことである。
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