帰宅途中で雨がぱらぱら降ってくると集中豪雨ではないかと雨に身構えてしまう。とはいえ雨に身構えても仕方がないので何とか交通手段を雨に濡れないようにして家に戻る方法を考えてしまう。
以前はこんなことなかった。雨が降ってくるとぱらぱら降ってきたなと思うくらいであわてて帰宅しようと考えないでいた。いまはまた集中豪雨かと考える。
20年ほど前、私は当時65歳になる大学教授と話をしていた。教授は東京湾など埋め立ててしまえばよいといった。彼は経済を合理的に考える人であった。東京の平均気温が2度くらい上がるのではないですかと私は自分の心配を話した。すると彼は2度ぐらい上がってもよいではないかと言い放った。私は平均気温が2度上がると一体どうなるのかイメージが湧かなかった。会話はそれで終わってしまった。
それから20年が経過する。彼はその会話をしたときに、のどの奥が痛いといった。そして入院して食道がんと分かり手術をしたがその年に逝去した。私は彼の亡くなった歳を2年前に越えた。
2度平均気温が上がるという、20年前にはどんな状況なのか分からなかったことがいま、現実的になっている。正確にはわからないが、1.何度か平均気温が上がったというテレビニュースを半分うたた寝をして聴いた。
いま、東京湾を全部埋め立ててしまえなどという人はいない。20年間に人の心はずいぶんと変化をしたのである。雨が怖いなどという人もいなかった。
日本語はたくさんの雨を持っている。五月雨(さみだれ)、霧雨〈きりさめ)、氷雨(ひさめ)、時雨(しぐれ)、通り雨、梅雨、雷雨、村雨、遣らずの雨、春雨・・と書き始めればいくつも指を折ることができる。日本は水が豊かでみずほの国という。これほど雨を愛した民族を私は他に知らない。
しかしいまはぽつんと降った雨がいきなり猛烈な勢いに変わり、見る見るうちにマンホールからは貯水能力を超えた水が溢れ出して道路に溜まっていく。そしてテレビは激流と化した汚濁の河川や、激流が流れこんた地下街を映し出している。そしてテレビ映る誰しもが雨を怖がっている。日本の雨は暴力化したのである。
私はこの夏に東京では絶対に見ることができなかった南国の蝶を我が家の庭で見た。東京は亜熱帯化しているのではないかと思う。マンゴーが千葉で温室栽培できるようになった。信州では高原野菜が適さなくなったのではないかといわれている。レタスは真夜中に照明を付けて採っている。ワインの出来は山梨から信州に移ってしまっている。新聞では日本海が100年後に魚が棲めない死の海に変わると研究発表を掲載している。
「先生!平均気温が2度上がるとどんな風になるかイメージが掴めました。大変です」。私は夢の中でそんな報告をした。そして私は20年後の子供たちから報告を受けた夢を見た。「お父さん、東京は熱帯に変わりつつあります。食卓に並ぶ魚も、野菜も、米も昔とは変わってしまいました。昔にはなかった伝染病が流行し大変なことになっています」。
雨が怖いのだけではない。杞憂でなければよいのだが。