小柳ルミ子が歌った「私の城下町」に、タイトルに掲げた歌詞があった。そんなバカなことがあるのかと思っていたが、むかし、台湾の花蓮へ遊びに行ったとき、四季に咲く花が咲き乱れている庭園があって、亜熱帯の島はこんな咲き方をするのかと驚いていた。大理石でできたタロコ渓谷のどん詰まりにあるホテルの庭でのことである。ここにはさつきもクリスマスフラワーも、とにかく四季に咲く花が咲き乱れ咲いていたのである。
我が家の庭に久しぶりに降りて驚いた。11月20日にハイビスカスの花が咲いている。どう考えても夏の花だ。
隣家との境に山茶花の垣根をつくった。山茶花は初冬に咲く花である。
コスモスは秋に咲く。さすがに春の花はないのだが、これも地球温暖化の一現象なのかと、目を疑った。
今年の暑さでアロエが一気に勢力を伸ばした。このアロエはこれまで二本の茎が居候をして申し訳なさそうにあったものだが、今年の繁殖はいったいどうしたというのだ。
今年は柿が当たり年であった。我が家に三本ある柿の木は、タネを埋めたら樹が生えて放置していたら実がなったと言うお粗末な話であるけれど、古木の柿からは、握りこぶしより大きく育った渋柿が50個以上も生った(なった)。
我が家では渋柿をなめて掛かって誰も食べようとしないからいつも小鳥の餌になる。今日は渋柿を採って、ヘタに焼酎を付けてからビニール袋に入れて密封した。一週間ほどするとヘタからアルコール分が実に回り、渋の原因となるタンニンを変化させてそれは甘い柿に変わる。
残る二本の樹には小粒の柿がびっしりと生っている。以前は甘がきであったが、いつの間にか形が変わり渋柿に変身した。私は焼酎処理をするべく小粒の柿も10個ばかり採ったが、残りの、どう数えても200個はある柿は小鳥のために残しておくことに決めている。
植木職人が入ると、樹は横に伸びるように剪定をしてくれるが、そうした手入れをしなかったがため、柿の木は空に向かって伸び続け、脚立を立てても絶対に手が届かないところに大部分の採れない実が生っている。熟してくるとそれを待っていたかのようにたくさんの種類の鳥が集まって、熟した柿の実を突付く。虫もいなくなり鳥にとっては貴重な食料になる果実を目指して我が家の庭に、メジロやもずもやってくる。鳥に詳しい人が見ていれば楽しいはずなのに、私は鳥の名前を知らない。
今日午前中はそんな庭仕事をして、正午には事務所に出た。幾つもの積み残しの作業や提案をしていかなければならない仕事が残っていたからだ。明日は今年最後の「クルマでの軽井沢」と思っていたが、明日から軽井沢アウトレットのプラチナバーゲンがあることを知った。毎年、プラチナの時期になると高速も18号も、そして18号バイパスも、軽井沢の道路は大渋滞になるので、明日、軽井沢へ行く予定は消えた。となると残りの仕事をやるために出社することになる。