ネットの軽井沢天気予報では快晴で、気温も低くなかった。高速道路渋滞情報も調べたが大それた渋滞は発生する予測はない。前日は早い時間に睡眠した。金曜日はアメリカから友が一時帰国して久しぶりに実のある会話をした。友は土曜日に山梨の実家に戻ると言っていたから軽井沢経由で小諸まで送れば、友は小海線で八ヶ岳の裾野を回り清里から小淵沢へ出て山梨の実家に戻れると目論んでいた。その気になっていて友にはホテルに電話をしますと伝えたが、残念ながらいささか飲みすぎたことと、寝不足も手伝って土曜日は到底長時間のドライブに耐える体力がなかった。そこで日曜日こそは軽井沢へ行く今年最後のチャンスと思っていた。
事実チャンスであった。睡眠は十分に取れていた。体力は十分であった。天気は無風で快晴。軽井沢の天候も凍結するほどの気温には下がっていなかった。
けれども私にはやる仕事が多すぎた。メモには15もやらなければいけない項目が残っている。どれも重要事項で、パスはできず、準備に時間と人力が掛かる。ニュースリリース原稿が二本、執筆中の単行本原稿が一本、出版社と新規単行本企画の打ち合わせ準備が一本、セミナー準備が二本、新たに構築した理論体系の執筆とHPアップ準備が二本、流通業向けプロジェクト準備が一本、それに大企業との業務提携と伴うコンサルティング、クライアントへのコンサルティングと待ったなしの仕事が早く着手せよとアラートを送ってくる。
今日は朝早くから出社し、提案書を一本作成し送付してから、新規出版企画の下準備をして、参考図書として購入したモシドラを読み進め、ついでにドラクエ9の攻略本に目を通した。その後に韓国美術館からN画伯の問い合わせに返事を書き、もう一本の単行本執筆を進め、流通業向けプロジェクトの構想を練り、いまはこうしてブログに向かっている。
ブログに向かえば、普段離れている人たちに近況を知らせることもできる。会いたくてもなかなか会えない人を思い浮かべて書けば、少しは会えているような気にもなる。軽井沢のことを書けば行かなくても思いを馳せることができる。
来週日曜日、軽井沢の天気はどうかとネットで確認したら、もう来週は夏タイヤでは行けない土地になっている。最低気温はマイナス5度になり、雪マークが並んでいる。あとは来年5月だ。こぶしの花が咲く頃まで夏タイヤのクルマで行くことはできない。今日行こうと思ったのにと思うけれど、自分で選択したことだからしかたがない。
こうして地球は自転を繰り返し、自転するたびに生命は睡眠と目覚めという名の生死を繰り返し、私は忙しいという名の電車に乗って、生死を繰り返していることも忘れ、生の最後か、死の直前に見る走馬灯にも出てこないような風景を毎日つくり上げている。
あの走馬灯は、きっと脳のひだにある残影の記録が映し出されるのだと思った。母に手をつながれて七五三を迎えたこと、小学校の入学式のこと、そんな風景画が誰かが写したビデオを見るように人生そのものをつなげて見ることができるのだ。
私はむかし、人が死ぬ時にすべてが精算されて出てきたらおもしろいと思っていた。例えば飲んだビールの本数、食べた米の量、稼いだお金の総額、費やしたお金の総額と内訳、歩いた歩数、タクシーに乗った回数など書き始めたら切りがないから打ち切るが、そんな精算書が出てきたらおもしろいことだと思った。
走馬灯はまさに精算書であった。この世は人間の脳がつくり上げたイメージの世界で実体など存在しない。それを知る前に実体のない過去のすべてを走馬灯にして見せてくれる。これは脳が自らに対して行うリップサービスである。人は生死のハザマでそのことを知ることになる。
私の母は死ぬ直前に、どいてよ、どいてよと言った。どこにどいたらよいの。どうしてどくのと私は母の耳元で叫んだ。蓮如様がお迎えに来ているの。外で待っているのよ。一緒にいくのだからどいてよと言った。私は止めなかった。私はそうよかったねと言った。信心深い母の脳は無意識下に蓮如上人の迎えを受けて旅立つように母にリップサービスをした。私は駄目だよ。行っては駄目だよと言わなかった。引き止めてどうなる。蓮如上人に連れられて旅立つことができれば母にとっては最高の幸せと言うものだ。
私の場合には、脳は走馬灯を見せてくれたけれどそこから旅立つ出口にはお迎えがなかった。脳が私を死期とは認識しなかったのである。
私は時折思う。軽井沢に実体があるのか。人間の体と同じで生き物にそれが動物でも植物でも鉱物でさえも実体などあるのかと。行くたびに様子が変わり同じ風景は二度とない。私の脳がイメージとして軽井沢を好きと捉えているだけだと。
でも私は生きているときには思い切り生きよう。時間を無駄にしないで生き切ろう。軽井沢がムリなら次の週末の一日は鎌倉へ行って誰かの墓石を眺めながら生きている悦びに浸ろうと考えている。これだけ仕事をやっているのだから、同じくらいたくさんの遊びを入れないと、脳がバランスを失ってくるからである。