NHK教育テレビで放送する日曜美術館は、欠かさず見る唯一の番組だった。司会が壇ふみの時はよかったが、姜尚中が司会になってからは、次第に見なくなった。作家や文芸員との対談を聴いていて、この人が語る美術論には疑問を感じてきたからである。
芸術とは、結局のところ人間をあぶりだすことであり、人間を語る知性を持たない者は、芸術を語る知性をも持ち合わせていないと私はかねがね思っていた。
東大の教授の肩書きを持てば、社会から特別扱いされるであろうし、苦労の無い人生を過ごしてれば、人の痛みや哀しさなどは実感がわかないだろう。上から目線で、人々を見下げるそんな自称エリートは、世間には山ほどいるのだが、そのような人が芸術を語り、愛好者しか見ないだろう美術番組を司る役割は重いと思う。
この思いを強くした極めつけは、流浪する難民と生活を共にして写真を撮り続けた有名な写真家の作品を巡って、この写真家と対談をしている時であった。
この記憶は、私の脳に鮮烈に焼きついている。
作品は、難民が大きな樹の下で集まって一時の休息をとっている風景を撮影したものである。この人たちは凛とし、背筋を伸ばして休んでいる。ガンダーラの仏陀が座禅をくんでいるような姿を髣髴させる。その人たちに木漏れ日が燦燦と降り注いでいる。凛然としている姿は、神々しさを感じるものであった。すくなくとも私はそう解釈をした。写真家は難民になった人たちに畏敬の念を込めてシャッターを切ったのに相違なかった。
ところが、姜尚中は写真家に対し、『難民達と、降り注ぐ神々しいほどの光』、この相反する矛盾を、どう考えたらよいのでしょうかと言い放ったのであった。
通訳を介し、姜尚中から投げかけられた意味を理解した写真家の顔が、一瞬こわばった。写真家は答えに窮していた。心中は手に取るように視聴者にも伝わってきた。
この作品には相反する矛盾などどこにもない。民が国家や民族同士の争いに巻き込まれ、住む土地を奪われて難民と化す。それでも凛として生きる姿に、一条の太陽光が難民達を照らしている。そういう作品だ。
人間を理解できる知性を持たないものは、芸術を語る知性をも持ち合わせていないというのは、係る意味合いで使った。ネットにも日曜美術館のファンから姜尚中を外せというブログがあって、私と同じ思いを抱いている人はいるものだと感じ入った。
それからしばらくは見ることをやめたが、司会者が千住明になったと聞いてから、また見るようになった。千住明は彼の性格だろうが控えめな態度で進めている。主役は芸術家の作品であることを知って控えることに徹しているのであろう。
今朝は彫刻家保田春彦特集であった。この人は芸術家そのものであった。パリ留学中に知り合った愛妻が死んでたくさんのスケッチやオブジェが発見され、その暖かさに気が付き、様式をブロンズや鉄から木彫りに変える。このあたりはすごい生き方だと思った。もう一度初心に戻ろうと決意し、人体クロッキーから始めるためにパリに留学をする。70歳を過ぎてからだ。
日曜美術館で紹介された木彫り作品は、作家が長年暮らしていたイタリアの住居を連想させるものだが、実に美しい。この家には人々の暮らしがあることを連想できる。保田氏はやがて脳卒中で倒れ、左半身に麻痺が残る。このリハビリ生活中に、闘病している人間の生を描いたすさまじい自画像を残す。
大磯のアトリエもぜひ拝見したい住まいであった。特別でもなんでもない古材を使い、お金を掛けず、それでいて住まいのデザインとは何かを教える手本になる、シンプルな設計であった。
芸術家の生き方そのものが人間的であり、生命の輝きそのものである。芸術家は自分を残すために作品を残す。自分とは、人間そのものであり、削り落とし、最後に残った原理原則的な単純なものだ。しかし人間だからいろいろな側面を持ち、表現が単純であるほど深遠さが伝わる。芸術家が伝えたいものは、自己の葛藤を通じて炙り出した「深遠なる人間」である。
もうひとりの司会をつとめる森田美由紀が、「先生は奥様と一緒に生きていますね」といったら、芸術家は目がきらっと光って、「そう。その通り」と、即座にうれしそうに叫んだ。私も生き生きとした芸術家の姿に、うれしくなった。