瞽女(ごぜ)を描いた画家、斉藤真一の絵に魅せられた人がいる。彼は二十いくつかの時に、斉藤真一の絵に出会い、収入の大半を、斉藤真一の絵に注ぎ込んだ。そのお金は一億円を超えたのか、一億円に近いのかは知らないが一億円と言う言葉が彼の口から出た。いまも独身ですと言い、親から早く結婚をしなさいと言われると言った。
現金だけで払えずに月払い、ローンと支払いも苦労をしたようだ。定年退職し62歳になって自分の集めた絵がどれほどの価値があるのか気になり始め、なんでも鑑定団に応募した。
彼は自慢の作品を持ってきた。10号の絵を2枚、ちょうつがいで留めた絵である。その絵は250万円で買ったといったが、なんと500万円の評価がついた。彼の顔はみるみるうちに明るくなり、いままでのコレクターはムダではなかったとばかり、晴れやかな顔をした。
この人は結婚もしないで、ただ斉藤真一の絵を集めるために生涯の大部分を費やしたといってもよい。
自分が絵を集める変人だということで女性は誰も近づかない。これで自分の資産がどれほどのものかわかるだろと彼は言った。彼にとっては自分の生き様が正しかったのかを確認する場であった。
そんな想いを見透かしたのだろうか。鑑定者は500万と値をつけた。彼は深々と頭を下げた。おそらく彼はこれからも、この多作な画家、斉藤真一の絵を集めるであろう。
しかしだ。この500万円はどこから出てきたのか、出品人は画商に持っていけば黙って500万円で換金できると思っているのか。
熱心な斉藤真一のコレクターが出てきて500万円で譲ってくれともなれば別な話しだが、素人コレクターがどこに持って行っても、換金できない。画商に声を掛けても顧客に斉藤真一のファンがいるから、欲しいということであれば電話をすると追い払われるのが関の山だ。画商もたくさんの絵を抱えていて、売れる当てのない絵を仕入れることはない。それでは美術館に寄贈しようと考えても、美術館も要らないと断ってくる。それが日本絵画市場の現実なのである。
この番組はショーである。鑑定者に責任はない。辛口鑑定者はみな消えている。
彼が絵画市場に無知なのだと言ってしまえば、それでこの話はおしまいだが、この問題はいろいろな議論の種を抱えている。好きで集めたものが、老境になり資産価値を知ることで人生を肯定したいことはわかるが、好きなものは自分で楽しめばよいのであって、そこに資産価値を求めるから人生が狂い始める。
この人は若くして収入のほとんどを斉藤真一に貢いだ時点で人生は狂い始めていたのだ。それなら狂ったまま最期を迎えればいいのだ。なまじ後悔をするから期待と現実との落差から更なる狂いが始まるのだ。それでなければ狂うほどに絵に恋して楽しい人生であったと自らを肯定するしかないのだ。絵を愛する恋人と思えば、老いた後、資産価値を問うこともないだろう。
とはいえコレクションの資産価値に安堵した彼がやがて壊れる夢の後に来る現実を想像すると、私はテレビの前でしばし絶句に近い沈黙をするしかなかった。
なんでも鑑定団は売り相場価格、買い相場価格、そして現状相場を明らかにすれば、もっと手を回してこの絵をいくらなら買っても良いという人を探して金額を公表すれば多少は罪は少ないと思う。内部を知る人の話だと、鑑定価格を巡って出品者の親族間で権利に絡むいさかいが起きているようだから。これは鑑定者の問題ではなく番組プロデューサーとスポンサー企業が自問自答しなければならないことである。