多忙とは、心を亡くすことが多いと書く。りっしんべんは漢字を当てれば立心扁と書くそうだ。もともとは心であったが隷書が普及するにつれ、扁は左側に追いやられ、立ってきていまの形になったそうだ。それほどに多忙な時間を過ごしている。
忙しいことは好きで、暇な時は振り返ると好きではないと思う。自分を突き動かすことがあるとまっしぐらに進むくせは身についたものだ。
漢字は表意文字なので多忙と書けば忙しいことがすぐにわかるが、ローマ字を当ててみたらtabooとなった。なんともノンビリのイメージではないか。
日本に帰化手続きを終えたはずのドナルドキーンさんは、松尾芭蕉の俳句をローマ字で当ててみると、特別な韻があると話している。natukusaya tuwamonodomoga yumenoatoと事例を説明していたけれど、外国人が読むと視点が変わるものだと恐れ入った。というわけで多忙はtabooにしてみたわけなのだが、Barの店名になりそうで面白かった。
これからいやな言葉はローマ字で書いてみると面白いと思った。マイナス発想になる言葉は禁句である。言葉にすることは心の位置を認めることになるからだ。どうしても使いたい時はローマ字表記がよいと思う。
私のtabooは世の中に新しい表現をすることを選択しているからである。だからtabooとはそれだけ新しい表現回数を増やしていることになる。だからといって心を亡くしてはいかんよね。それは戒めないと。心は亡くしてはいないけれど伝えないと伝わらないよね。それは相手には心を亡くしたと映るよね。
私のtabooは、世の中を変える可能性を秘めているからやれるのであって、生きてる証を自ら確認したくてやっているものだ。まもなく22時になる。今日のtabooはこれでおしまいにするか。