物を捨てられないのは愛着があるからだと人はいう。人や物への思いを断ち切れないことを愛着という。普段はまったく忘れていることでもどこからひょいと出てきた物を見ると、物に絡む思いがあって、思いとからむ物を捨てきれない。こうして人の周辺に物がたしかに増える。
物を捨ててしまえば思いはなくなる。物を捨てても忘れられない思いこそが、心にひだに刷り込まれた、物がなくても思いが残っている真の思いだ。
私のまわりにも物がたくさん残っている。なぜ捨てきれないかと言えば愛着があるからだ。愛着があって捨てきれないから物が残っている。
執着(しゅうじゃく)は、強く心を引かれ、とらわれること。深く思い込んで忘れられないことと広辞苑にはある。金に執着するなどと用いている。
恐怖は愛着から生まれると誰かが言っている。愛着心を持たなければ恐怖心は生まれないと誰かが言っている。確かにそうかも知れないのだが、愛着心があるから人間は前に向かって進むことができる。人にも物にも自然にも価値にもありとあらゆる存在するもの一切から愛着心を捨てるとは、解脱、悟りを意味するものだ。
いま、愛着とは何かと考えている。
生涯現役を貫くには、生活上必要なもの、人生を豊かにするために好きなもの、どちらにも属さないものと、愛着を三つに整理することではないかと思った。
生涯現役とは、愛着を整理したうえで人生に愛着を持って生きることではないかと思った。
人生を現役で生きていくためには、愛着を持ち続けなければいけない。愛着を持つから幾つになっても人を愛せ、物を大事にできる。
物を見なければ思いが浮かばない物は捨ててよいと思う。身の回りは次第に身軽にしていかなければならない。けれども豊かな人生を過ごすための物を捨てることはない。私は自分相応に、生涯愛着を持って生きていこうと思った。生涯現役とは生涯愛着のことだ。生涯執着では困るけれど、脳の変化に相応な愛着はあってよいと思った。