播磨坂の桜並木は、遠目から見れば枯れ木だが、目を凝らして見ると、もやっとしているのがわかる。東京の開花日は3月29日と予測情報が流れている。もやっの正体は、やや桜色に変わったつぼみである。
PCの調子が悪くて困った。メールはようやくつながった。しかし何かをしたことによってつながったのではなかった。専門家が二人来社し、すべての設定が正しいと確認をした。その上で一箇所のパスワードを打ち直した。iPadも、ノートPCも、デスクトップも、受信はできても送信ができなかった。
それが専門家が来たことで意味なく直った。
どのPCでも実現ができた。
OSの再インストールは、再インストール用のCDが見つかったことですばやくできたが、メールの送信が意味なく直ってしまったのは不思議としか言いようがない。
去年の桜は、誰もが見た気分には、なれなかった。311の衝撃が誰一人消えずに、多くの人は自己消失をしていた。ここ、文京区の播磨坂は桜の名所である。人々が消沈して桜をめでる人はいなかったけれど、桜はいつもと同じように咲いていた。
桜が美しいと思うのは人の心がである。地球が美しいと思うのは人がそう認識しているからである。
桜が美しいのではなく、桜は美しいと、人間が認識できるのだ。
この世の中は、脳が心地良いように作られている。もしも人間がヘビを美しいと認知していたら、世の中はヘビだらけだろう。すべては脳の都合が良いように出来上がっている。
今年は寒い日が続き、花が遅い。軽井沢はいまだに雪が降っている。2009年頃には2月に、夏タイヤで北軽井沢まで行けたのに、軽井沢関連ブログを読むと、軽井沢-7度、北軽井沢-14度だという。到底夏タイヤで行けるものではない。
だから今年の桜は、誰もが待ち遠しい。昨年の分まで待ちどおしい。被災地の桜が、人々を勇気付けるように咲いてほしい。