私がいま居る事務所の町名は春日である。春日は春日の局の春日だ。通りも春日通りだ。春日通りは川越街道の別名だ。都内に入ると川越街道は春日通りと名前を変える。
事務所から1~2分ほど歩けば春日通りにでる。春日通りの向こう側に伝通院がある。伝通院は徳川家の菩提寺として、家康の母 於大や千姫の墓所がある。
伝通院は高台にある。高層建築などない江戸時代には江戸城からは上野寛永寺もここ伝通院もよく見通せたのだろう。江戸城から見て同じ方向のはるか彼方には家康を祀る日光東照宮がある。徳川家が伝通院を墓所に選んだ意味がよくわかる。
伝通院から富坂を下りて、白山通りを横切り、真砂町の坂を昇って本郷通りを過ぎると、春日通りは湯島に入り、下り坂となる。左側には臨済宗妙心寺派の麟祥院がある。ここが春日の局が開基した自身の墓所である。
もう少し坂を下ると春日通りの右側には、湯島天神がある。湯島天満宮が正式名称で、言い伝えでは458年創建とあるが定かではない。菅原道真公を祭った湯島天満宮は、文教、すなわち文の京の発祥地になったといわれている。
今年は寒冬であったため、梅の開花は遅いがそれでも花を求めて人は賑わっている。
春日の局は、安土桃山時代1579年~江戸前期1643年まで生きた人である。家光の乳母であっただけでなく、徳川政権の基礎をつくった人で、調べてみると実に政治力があった人であると思う。
私は1943年生まれだから、春日の局が逝去した年のちょうど300年後に生まれたことになる。私はすでに69年生きている。70年としてその5倍の時間をさかのぼることができたら、私は生前の春日の局と会うことができるのかもしれない。そう考えると安土桃山時代とか、江戸時代初期はそんなに大昔のことではないことがわかる。
歴史物語とは現代人の創作物に他ならないが、何気ない所に気付いて掘り下げてみると、いたる所にその痕跡があってその足跡を想像することができて楽しい。今日は3時半には仕事を止めて、麟祥院から湯島天神、そして上野公園まで歴史散策をしてみようと思う。めったにしないことだが、わずかな時間を生かすには面白い。過去ばかりを追いかけては困るけれども、その気配はないから・・・・・・大丈夫!