金環食がきっかけであったと思う。
太陽があって地球があって、その間に月があって一直線上に並ぶ。こんな話は誰もが分かっていることだが、ある日突然、この姿が宇宙の出来事として、宇宙から見ることができるようになった。
すると地球さえも、宇宙から見ることができるようになった。すべては脳のなせる業だが、地表は宇宙に露出し、宇宙とつながっているということである。
なぜこう見えるようになったのか!実に不思議なことだが自然の営みはすべて宇宙とつながっていることが見えるようになった。
当然ながら人間も宇宙の営みの一つであることが見えるようになった。
都会に住む人たちは、価値は相対的であり多様化していると信じている。かく言う私もその一人である。人間は自立しなければいけないと思っている。
けれども自然の中に住む人たちは価値は絶対的だと信じている。価値とは自然のことであり広げれば宇宙のことである。
自然と共に生きる人たちは、自然には絶対勝てないことを知っている。自然は生き物に豊穣な食物を与えてくれる。このことも宇宙のリズムがもたらしたことだ。時には人間にとって不都合な宇宙のリズムさえある。地震、津波、台風、竜巻、大雨、大風、すべては宇宙のリズムの一つだ。
むかし、日本人は自然を敬い、自然の中に神の存在を信じていた。それから科学が発達し自然崇拝は意味のないこととなった。けれども逆に科学が発達したことで宇宙のメカニズムを科学的に検証できるようになった。見えないから神がいるのではなく、見えたからこそ絶対的な存在の元に森羅万象は存在していることを知ったのである。
絶対的な存在の元で人間は自立して生きるなんてことはできるわけがないのである。多様化した価値観とは人工的な思想でしかない。人間は自然の恵みを得て初めて生きていける。自然に逆らわずに、自然の流れに沿って、生きている田舎暮らしの人たちは、実は絶対的な価値感を持って生きている。だから都会に住む人から「絆」なんて言われなくとも、よいのである。
震災の後石垣島に移住した歌人の俵万智はこう語っている。
「私は子供に自立せよ。他人に迷惑をかけるな。と教えてきた。けれども石垣島に移住してみると自立なんかできない。私たちは自然と共に生きるしかない。他人に迷惑をかけずに生きることはできないと思うようになった。私たちは周囲の人から助けられて生きている。漁師から魚をもらい、農夫から野菜や果物をもらい、大地から恵みをもらって生かされている。この意識の変化が私を石垣島に定住する決意を育んだ」と。
私は最近、ボタンを押すだけでマクロ視点とミクロ視点を切り替えることができるようになった。科学の発達でマクロ視点での写真がたくさん発表されていることも要因だが、私自身の心の変化が大きいと思う。