お盆が近づいてきた週末、両親の墓参をしてきた。両親が自分たちのために用意した墓地で、所沢の公園墓地である。墓参といっても墓掃除が主である。物を残すからメンテナンスが必要となる。両親のDNAは、しっかり私の体内に、よいも悪いもすべてを包含して残している。だから墓など残す必要がないのだ。そういいながらも、墓掃除に出かけるのは草茫々とした墓は近隣にとって迷惑であろうと思うからである。
一人で出かけ、草をむしり、墓石を洗い、線香をあげて、それから全文を諳んじている般若心経を唱えてから、時間は12時30分になったが、所沢まで来ているのだから軽井沢へ行こうと、関越に乗った。
私は、法事をすると言う観点では親不孝に属するであろう。しかし私はいつでも両親と一緒に生きていると思っている。
雨の予想をこえて、関越は本庄の手前から青い空と白い雲、いわゆる夏の風景になった。ところが軽井沢に入ったとたん、小雨模様になった。
夏の観光シーズン前ではあるがつるやは混雑していた。私はつるやで夏野菜やブルーベリー、スイカ、桃などを買った。娘たちのみやげのつもりである。軽井沢の夏野菜、果物は本当においしい。
つるやには杏がたくさん並んでいた。ジャムを作るか、杏酒を作るのか、どちらかである。つるやの果物は実に多様である。東京のスーパーでは、お目にかからない地元特産品がたくさん並んでいる。多様であるのだが、自然の恵みと括ってしまえば単純に整理できる。
軽井沢は、裏道に入れば信号はない。信号がない道は危険かというとそうではない。信号がないから交差点では、権利を主張しないでみなが譲り合う。せっかちに走る必要がない。ゆっくりと走ればいいからである。
私は軽井沢の林道を走るのが好きだ。ここに軽井沢の礼儀を知るからである。
これまで自分の人生を振り返ると、まるで桂馬のように、前に前に進んできた。航空機で目的地に直行するような人生であった。
ところが、各駅停車の列車に乗ると、そこでの生活がよく見えてくる。ある駅で学生が大勢、電車に乗り込んでくる。この駅は学校がある町だなとすぐ分かる。学生は散らばるようにして次々と降りていく。ここに自宅があるのだなと思う。
以前、開聞岳を見るために指宿線に乗車したとき、停車した列車の窓越しからつまべに蝶が飛来している姿を見つけて、その駅に飛び降りたものであった。飛行機や高速道路で目的地に向かえば、このようなことはできない。
信号がない交差点で、お互いが譲りあって思いやるところに軽井沢の礼儀を知ることができる。私はこういう軽井沢が大好きである。