一か月以上も休みが取れていない。仕事が終わるのは毎晩10時過ぎだから帰宅すると11時。それから深夜食に近い夕食を食べて、風呂に入ってから家に持ち帰った仕事に取り掛かる。気が付くと午前2時から3時。頭は冴えて眠れない。これじゃ体にいいわけないよと人にも言われるが、不思議なもので、希望や夢の実現に向かって心が乗っている時は無理が通る。
浅間連峰にある高峰山の中腹に40年来のお付き合いをしている画家がアトリエを開いている。画家の大島さんは山野草を庭に植えている。上の花は、大島画伯が撮影したアトリエの庭に咲く「クリンソウ」である。桜草科で毎年5月から6月に姿を見せる。
山野草という名前だけは知っていたが、たくさんの種類があり、図鑑があるほど整理されていることも知らなかった。私にとって知らないものは存在していないことと同じだ。
軽井沢に居をつくったら、大島さんから山野草を庭に植えてあげますよおっしゃっていただいている。
軽井沢の守り人、鈴木美津子さんの活躍は素晴らしい。佐久に風の丘しいあるをつくった。ヨーロッパの貴族の館を模した本格的なローズガーデンだ。
お嬢さんが軽井沢病院の医師による医療ミスで美津子さんのお嬢さんは、一人息子を産みその日に逝った。悲嘆にくれた美津子さんを救ったのは、お嬢さんが軽井沢での生活にしたいとしていた軽井沢の森を守る遺志を継ぐことと決めたことにある。きゃしゃな体のどこにそんな力があるのだろうか。重機を操作し、樹を移植させるボランティアしいある倶楽部はこうして生まれた。
しいある倶楽部はNPO法人に形を変えた。しいある山野草園も開いた。
風の丘しいあるのオープン日に招待を受けたが、私は仕事が忙しくて参加できなかった。美津子さんから鶴溜に保有する自然豊かな山に瑠璃草が咲いていますと春の半ばに連絡が入った。
美津子さんの案内で私は瑠璃草を初めて見た。その名の通り瑠璃色の花であった。美津子さんからも、服部さんの森には山野草を植えて差し上げますと言われている。
美津子さんと会うと話は、山野草と蝶に集中する。
この森に、うすばしろ蝶が乱舞すると話をしたら、めざとくムラサキケマン草を見つけ、この食草があるからですよと美津子さんは言い当てた。ムラサキケマンは私の想像を超えて、高さ10㎝ほどの小さな山野草であった。
22日、軽井沢のしいある山野草園で、美津子さんが山野草の説明をしてくれる。今週末は軽井沢へ行こう。久しぶりのOFF時間だ。