小諸市にうなぎ蒲焼店「藤舟(ふじふね)」があることは、前から知っていた。特上うな重で2500円だ。日曜日にしては関越・上越道路も空いているようなので、小諸までうなぎを食べに行こうと思い立った。ネットで住所を調べてNAVIにインプットすれば、玄関先まで案内してくれる。
予約をしていたので、座敷の上席が用意してあった。あらかじめ下こしらえの仕事をしているようだ。思ったより早くうな重が出てきた。
焦げがあって、細い骨は残っているけれど、いずれも苦にならない。ごはんが少し多い。たれが甘い。こんな特長があった。
ここは中山道。東海道と同じように江戸から京都、大阪へつながる主幹道路であった。
上方のウナギは、蒸さないで腹から開く。
江戸のウナギは蒸して背中から開く。
小諸のウナギは、蒸さないで背中から開く。参勤交代の大名行列が行き来したので切腹を意味する腹切りを避けて、味付けは上方風にしたのだろうと思う。こんな江戸時代からの文化が交差している。それが藤舟のかば焼きである。
小諸市は城下町だ。かの有名な島崎藤村の名詩、「小諸なる古城のほとり」「千曲川旅情の歌」の舞台になった土地だ。藤舟は古城跡の一隅につくられた懐古園の近くにあった。
10月の信州なら、冷ややかな風が流れていると思ったが、真夏のように暑かった。長袖の下着でシャツを羽織ったのだが、蒸し風呂に入ったように汗が噴き出して、懐古園の散策どころではなく、慌ててクルマに戻りエアコンを全開にする始末であった。
小諸市の隣、佐久市の田園ではこうして稲を自然乾燥している。機械乾燥と比べて甘みが凝縮するのだろう。ご当地の「五郎兵衛米」は実に旨い。だから自然乾燥のコメは高価で10キロで、5500円はしている。
田園は秋空だ。画面右には浅間山の一部が写っている。
とは言えこの場所も浅間山の一部。浅間山の山腹を18号は通り抜けている。
軽井沢へ向かう途中、追分宿の旧道に入った。いつの間にか電線は地中に埋められ道路は遊歩道に変わっていた。ここは追分の観光地だから。
堀辰雄記念館は駐車場が満車であった。宮崎駿の映画「風立ちぬ」の影響であることは間違いない。堀辰雄は昭和28年に結核で死去する。48歳没だ。
堀辰雄はすでに結核に侵されていた。矢野綾子と療養中の軽井沢で知り合い、婚約するが、綾子もまた結核に侵されていた。富士見高原療養所に二人で入院するがその冬に綾子は結核で死亡する。この体験で生まれた小説が「風立ちぬ」である。1943年(昭和18年)抗生物質ストレプトマイシンが出るまで、結核は死に至る病であった。日本でも都市では結核は蔓延した。
その後、辰雄と結婚した夫人多恵(堀多恵子)は、2010年96歳で死亡する。死ぬ少し前まで軽井沢情報誌ヴィネットで元気な姿を見せていた。
当時は結核は普通にある病気でしたから気にすることもなかったと結婚前のいきさつをヴィネットで語っていた。
コスモスも満開だ。私は千ヶ滝温泉で、ウナギを食べて流れた汗を洗い流すために行水のような入浴をした。
霧下野菜とブランド名を持つ野菜は美味いと聴いていた。そこで1個105円のキャベツをJA直売所で購入した。葉の一枚をとってかじったが、確かに甘かった。とんかつ屋で付くキャベツの千切りとはまるで異なる甘味であった。
珈琲が飲みたくなり、南ヶ丘の丸山珈琲本店で飲んだ。ここの珈琲は本当に旨い。しかしメニューのどれを飲めばよいのか全く分からない。それほどまでにメニューは産地ごとに細分化されて専門的である。
家を出たのが8時半。軽井沢出発が15時半、途中事故渋滞が2か所あった。VWがベンツに追突していた。家に着いたのが18時ジャスト。藤岡で20分くらい休んだ。走行距離391キロであった。うなぎを食べるのが目的で、残りはおまけであった。